Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

戦略と戦術の妙



戦略と戦術の線引きは非常に難しい。どこまでが戦術でどこまでが戦術なのか。
ことスポーツに限れば、その議論はいくらか簡潔になるが、難しいことに変わりはない。
大局的なことが戦略で、局所的なことが戦術?
間違っているかもしれないが、団体球技系スポーツに限った場合、個人的には概念的にこう捉えている。

器が二つあって、その器に入れた水の量が、多いほうが勝つと仮定した場合、その器を大きくする作業が戦略、器に水を注いだり、相手に注がせない作業が戦術。相性なんかもあるんだろうけど、ここではあえて考えない。
前提として、器に対して、30%〜40%の水があらかじめ基礎能力として入っていると考える。
要するに水の量がチームの強さに例えられるんじゃなかろうかと。器が小さくても、なみなみ注げば、器の半分くらいしか入っていないチームに勝つことができる。

器の大きさは端的に言ってしまえば、選手のポテンシャル、ひいては選手層。
その残りの部分に水を入れるのが、チームのシステムだったり、試合での相手に対する対策だったりなんじゃなかろうか。

どんなに優れた用兵でも器以上の水は注げない。つまり、戦術ではチームの100以上の力を出すことはできないということだ。
もちろん大きな器を作って、たくさんの水を注ぎ、相手の水を注がせない監督が名将ということになるのだろうが、この例えなら監督のタイプもある程度、説明しやすそうである。
器をとにかく大きくして、選手の基礎能力で勝負する監督、水のうまい注ぎ方をして、選手のポテンシャルを最大限発揮させようとする監督、相手にあわせてとにかく水を注がせないで、相手に力を発揮させない監督など、結構この組み合わせでだいたいカバー出来そうだ。もちろんどのチームも全部やろうとしているんだろうけど、なんか前者中者後者は大学ならそれぞれ東海、筑波、順大と言えなくもないような。

結構思いつき理論なんで、無理があることは承知のうえ。
そして水には水のプライドがあることも承知のうえ。