Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

リカルドを作った男



発掘した1994年の古い月刊バレーボールを読んでいたら、4冠直後ということもあって、東海大学のチーム特集が組まれていた。今月号もそうだっただけになにかこう感慨深い。今から16年前かー。東北高校の新監督になった江間さんが新マネージャーに就任していた。

その数ページ後の海外ニュースのブラジルからの寄稿でおもしろい記事を見つけた。

高校1年生、192cmのサウスポーセッター出現

 わたしが再びバネスパのジュニアを指導しはじめたのが、昨年3月から。以来、プロとジュニアと両方を見てきた。この中にあって、ジュニア1年生のサウスポー、192cmのセッターがいた。リカルドという選手だ。この選手にセッター教育を徹底的に行ってきたが、中学生クラスのチームでしか練習をしてきていないので、セッターとしての気構えから、また技術面でも、担当コーチが教えきれていないことがわかった。
 そこで、それこそ6ヵ月間、彼のトランクスをつかみ、頭を押さえて形を見せ、足の運び方、パスを待つ姿勢、呼吸、ボールの捕らえ方など、セッターに必要な基礎トレーニングをさせてきた。
 その結果、今までのセッターを追い越し、プロチームのレギュラーの座を昨年10月より獲得したのだ。彼のデビュー戦、サンパウロ州選手権の準決勝の対スザノチームには、0-3で負けはしたが、可能性のある負け方だったので、以来、正式なレギュラーとして活躍している。この試合、NECの寺廻監督も観戦されていたが、「やはり17歳では、荷が重いでしょうね」という感想だった。
(中略)
 今でも、練習中、試合を問わず、「アゴの位置! 手の位置! 頭! 右足! 右手!」と、ゲキを彼に飛ばしている。彼もそれが何を意味するものなのかを知っている。
(中略)
このリカルド選手の目標は、もちろん、マウリシオ・リマ。彼に追いつき、追い越せが目標なのだ。
月刊バレーボール3月号 今井庸浩 1994年 日本文化出版

17歳のリカルドの記事を見つけるだけでたぶん「ウヒョー」と声を上げてしまうところだが、これをそのまま信じるなら、あの天才的なセッター、リカルドの基礎を作ったのはなんと日本人だったのだ。寺廻さんだって、それがここまでのセッターになるなんて思いもよらなかったでしょう。

この記事を寄せた今井氏というのは名前だけは以前聞いたことがあった。確か90年代前半もブラジル代表のコーチをやっていて、大会で何度か来日していた。メキシコ五輪の時に日本チームのコーチをしていて、その後ブラジルに渡ったようだ。今日もう一回ぐぐってみたら、昨年ブラジルの名誉ある賞も受賞していた。日系スポーツの貢献者たちへ=第53回パウリスタ・スポーツ賞=選手や指導者、協力者を顕彰=家族、友人ら5百人が祝福に
00年代最強を誇ったブラジルの粘り強いディフェンスには、やはりこの方の日本のエッセンスがわずかなりとも入っているのだろう。

実はこういう話は結構ある。ミュンヘン後、日本のバレーはまさにトレンドで、世界中の多くの指導者が日本のことを学びたがったし、おそらく松平さんの差し金だろうけど、同時に世界に多くのコーチを派遣した。たとえば、イランのバレーをここまでにしたのは名前は忘れたけど、たしか松本さんという人の功績だというのもどこかで聞いたことがある。
この人もそういう流れで海外にいった1人だと思う。

写真は昭和48年月刊バレーボール10月号から

そうやって世界のバレーボールのレベルアップに寄与した日本。今度は学ぶ番だ。