Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

最適に戦う



最適な健闘を。

森博嗣「スカイ・クロラ」

ネットを挟んで戦うバレーボールにおいて、勝ちを手にするためには、相手に勝る相対的な高さ、はやさ、パワーが必要になるだろう。
加えて、ボールを保持することが出来ないバレーボールでは、ボールに触るまでにいくつ選択肢を持つことが出来るのか、が極めて重要な要素である。


まぁ、これはどんなスポーツでも基本の部分では同じことだろう。多くの引き出しの中から、最適なものを選択し、表現できるチームは強い。


サーブを打つ前にいくつの選択肢を持っているか。どんなスピードで打つのか、どこを狙うのか、どんな間合いで打つのか。


レセプションする前にいくつの選択肢を持っているか。きっちりセッターを狙うのか。強いサーブだったら、とりあえずエースやオーバーネットを防ぐためアバウトに狙うのか。


トスをする前にいくつの選択肢を持っているか。どれだけ多くのスパイカーを使えるか。


スパイクを打つ前にいくつの選択肢を持っているか。どのタイミングでボールを打つのか、どこにどんな強さで打つのか。


昔からなのかもしれないが、ここ最近の日本の傾向として、一枚の手札(一つのプレー)を向上させることばかりに目が行っているように思う。
強いサーブ、高いスパイク、強いスパイク、速いバレー。それならまだしもピンポイントでしか合わないスパイクや入ったらすごいけどほとんどミスのサーブ。


一つ一つのプレーの質を高めることもたしかに必要だ。ただ、どれだけのプレーができたとしても、選択肢がそれしかないのであれば対応は容易だ。手札は多い方がいい。それはどんなスポーツでもボードゲームでも同じことだ。


プレーの選択肢の多さは単純な足し算ではない。かけ算だ。
相手が何かの対応をすれば、それをすると見せかけて別のことをする。別のことをすると見せかけて結局それをする。
選択肢の多さは相手を後手に回すことが出来る。


結局は、一つのプレーを追求するとやはり、どんどんピーキーなプレーになっていき、それしかできない。できるときはいいけど、出来ないと即ミス、即失点につながるということも少なくない。その結果、行き着いた先が「速くて低いバレー」ではないか。


確かにフィジカルの部分で日本人が大きなハンデを負っていることは疑いようのない事実である。
ただ直接的接触のあるスポーツに比べれば、バレーボールにおいてはそこまで深刻な問題ではないと思う。


これはなにもプレー局面に限った話ではない。
卓越した切り札がなくても、起用できる手札の多さで勝っていけることは今年のサントリーが十分証明した。


語弊覚悟で言えば、最良なプレーをしなくても、最適なプレーができれば勝てるのがバレーボールだ。