Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

小さかったら高く跳べ



「背ぇはこまいが、サーブレシーブは抜群で、よく跳ねる山猿みたいな選手がいる」
そんな地元の噂を聞いたのは、彼が中学生3年の時だったから、8年近く前のことである。
その中学生のプレーをついぞ見ることがなかったのだが、名を小澤翔と言った。


そのまま地元の高校に進むと思ってばかりいたが、彼が進んだのは、遠く離れた東京は東亜学園だった。
ちなみに彼がそのまま既定路線を進んでいれば、高校では、順大の4番小川君とレフト対角を組んでいただろう、おそらく。


彼を初めて生で見たのは、彼が2年の春高だったと思う。
その初めての邂逅を楽しみにしていたのだが、正直、そこまでの強い印象が残っているわけではない。
どちらか言えば、今は立教に進んだ清水の勝負強さや、明治に進む塩田の高校生らしからぬふてぶてしさの方が印象に残っている。この時、小澤はセンターに入っており、サーブレシーブもこなし、攻撃の中軸は担っていたのが、むしろキャプテンとして、個性豊かなチームを引っ張る姿の方が、思い浮かぶ。


2度目に生で見たのは、彼が大学2年の時の黒鷲旗の時のはずである。この年の東海大学はシーズン当初、清水の後釜として、オポジットには同じ左利きの清野を置いていたが、黒鷲旗を境に小澤がレギュラーを奪った。
このときはなにしろ驚いた。ジャンプ力は当然ながら、あんなに小さな体躯からは想像出来ない大きなフォームから繰り出される、ライトからのスパイクには度肝を抜かれた。バックアタックの切れ味を見た時なんて、もうお手上げである。


個人的に小さい選手というのはどうしても応援したくなってしまうのだが、そのほとんどはテクニックが優れた選手である。
舞の海のように牛若丸よろしく小さいものが大きいものをこけにする様を期待するのだ(あくまで僕は)。
しかし彼の場合は、違う。大きい選手とがっぷり四つに組んでいく様が爽快なのである。そう、どちらかと言えばドン・キホーテを応援したくなる気持ちに近いのだろうか。


そしてその年の天皇杯、昨年の黒鷲旗東海大学が大いにVリーグチームを苦しめたのは、多くのバレーファンご存じの通りだが、それにはもちろん彼の攻撃力が必要不可欠なものであった。まぁ、東日本インカレの死闘や全日本インカレの敗北など、語るべきことは少なくないのだが、長くなってしまうので割愛しよう。


そして、そんな彼が初めて日の丸をつける。
http://www.jva.or.jp/world/asianpacificcup/member.html
日の丸を背に世界と戦う。もうね、「わくわく」という言葉しか出てこないわけですよ。
風車のような外国選手のブロックを、彼には突き破って欲しいと切に願う。