Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

求めるべき「速さ」



「弾筋を見ている時間があったら、後ろを見ていた方がいい。」
・・・(中略)・・・
撃とうと思った時には、既に、次の目標を見た方がいいということだ。つまり、今から弾をぶち込む相手を眺めている時間は完全な無駄なのだ。
森博嗣スカイ・クロラ

いろんなところで、やたらと速いバレーを追い求める傾向にあるわけだが、速くなるのはトスのスピードだけ、という状況があちらこちらでみられる。
対峙する相手と戦う上で、相手より秀でたものが必要となるのは間違いない。それは高さかもしれない、パワーかもしれない、速さかもしれない。どうしても身体的特徴の差というのは埋めづらいので、どうしてもボールを動かすスピードという話になってしまうのだろうが、日本というのはどうしても目に見える速さばかり追求したがるように見える。


サッカーやハンドボールなどのボールスポーツでは頻繁に「考える」スピードや「判断する」スピードの必要性が取りざたされるわけだが、バレーボールではほとんど耳にすることがない。
ボールを保持できるスポーツでは、考えることができなかったら、自分たちでボールを回して考える時間を作ればまだよいのだが、バレーボールに至っては、ボールを保持できないのだから、いかにボールが空中にあるときに次のプレーのことを考えられるか、いかに良い準備ができるかが、重要になるのではないだろうか。
ディフェンスが高度に組織化された昨今、サッカーやハンドボールではアイデアや瞬間のひらめきがなければ効果的な攻撃を展開できないわけであるが、バレーボールでは3回で相手に返さなくてはいけない制限故に、プレーは単純化されているため考えなくてもプレーできないことはない。その微妙なバランスが面白かったりするわけだけど。
しかし、前述したようにボールが持てないわけだから、判断や考えるスピードは速い方がよいに決まっている。


たとえば、OQT、日本-イランのある場面。
サーブレシーブがネットから1.5mほど離れたところに行った場面でのクイック。

イランの6番ムーサビは、パスが少し短いと見るや、バックステップを踏んで後ろに下がってから助走を開始している。この動きができるミドルは日本にはほとんどいない。

あくまで対比の為に同じ試合の日本の映像。
パスが短くなっても、助走はネット際にパスが行ったときと変わらず、いわゆる「縦のB」というやつ。


ここでどちらの攻撃が良い、どちらが悪いといいたいわけではない。結果的にはどちらも決まってはいないわけだし。結果的にはね。
しかし、少なくともイランのミドルはパスの行く末を瞬時に「判断」し、このままでは助走距離が足りないと「考え」、バックステップを踏んだ。与えられた状況の中で最適解を出そうと試みた。
代表に限らずトスが低い、トスが低いとなにかと言われるセッターが多いような気もするが、周りのスパイカーもトスを低くさせるような入りをしていることがあるのではないか。


これは私の推測ではあるが、もともと日本が世界の頂点にいたころというのは、他国よりフィジカルの面で秀でていたのはもちろんだが、こういった頭のスピードでも優っていたのではないか。考えられないような量の反復練習の中で、知らず知らずのうちにプレー自体はオートマティックになり、判断する時間がたくさん作り出せたのかもしれない。
リベロルールができて大型化が進む中で、とりあえず身体的な要素が第一、という潮流になってしまったのではないか。リベロルールは日本サイドがきっかけとなって生まれたルールではあるが、結果的には世界的に大型化を促し、パスのできる器用なミドルはどうしても必要というわけではなくなった。むしろそこが日本の生命線であった気もするのだが。たとえばさきほどの動画ような場面。長谷部三男は湾曲した助走コースをとることで距離を稼いで助走スピードを出した。三橋栄三郎はサインを呼び変え、ライトへ走った。


頭のスピードが圧倒的にイランの方が速いといいたいわけでもない。
この試合でもイランの選手が全く状況判断出来てない場面もあれば、日本の選手が素晴らしい判断のスピードを見せている場面もある。ただイランの方が判断する幅みたいなものが広いように思う。
この先の世代を見てみても、日本が諸外国に比べ、サイズでますます差をつけられることになるのは明白である。そうであるならば、やはり目に見える速さを追い求めることには限界がある。
準備の早さ、シンキングスピード、判断のスピード、判断材料の量。こういった目に見えないはやさでこそ勝負していくべきではないだろうか。