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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッターその22 アラン・ファビアーニ

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アラン・ファビアーニは1980年代に活躍したフランスのセッターで、今般パナソニックの監督になることが決まったフランス代表監督のティリ氏や現日本代表コーチのブラン氏がプレーしていたフランス代表のセッターということになる。ヨーロッパ選手権の準優勝やチャンピオンズリーグの準優勝などはあるが、そこまで大きなトロフィーを獲得しているわけではない。1986年世界選手権のベストセッターは受賞しているが、地元開催だし。


同時期に活躍した日本では「将軍」でおなじみのフランスのサッカー選手と重ねて、「バレーボールのプラティニ」と呼ばれていたようだ。
姓の語尾が少し似ていること、正確なパスを配給すること、ナポレオンよろしくコート上でのリーダーシップ、ゲームを一つ上の視点から俯瞰で見ているところなどを重ねているようだ。プラティニフリーキックの軌道とファビアーニのセットの軌道を重ねる記事もあり、それはさすがにロマンチシズムに走りすぎ感はあるが、それはそれで面白い視点だと思う。
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プレーはテクニックお化けといった感じ。ボールが手に吸い付く、とは彼のことを言うのだろう。80年代のマルーフといったところ。
フランスというイメージに引きずられているところは大きいのだが、フランスの選手って色気があるし、ケレン味たっぷりという感じでやっぱり見ていて楽しい。

きょうのセッターその21 マイカ・クリステンソン

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現在モデナでプレーするアメリカのクリステンソンの代表デビューは2013年。
2013年のグラチャンでは思うような成果とはいかなかったものの(5位)、20歳でサイズがあって、サーブが強くて、ブロックが良いモダンなセッターが突然現れたのだから、驚いた。
その後、大学を卒業して、イタリアに行き、16/17シーズンはスクデット獲得。2008年世界選手権ではベストセッターに輝いた。


アメリカにはプロリーグはないため、基本的には大学卒業と同時に海外のクラブに行かなければならない(在学中から行く選手もいるが)。
F1なんかでもそうなんだけど、イタリアセリエAにおいては、ヨーロッパの外からくる若い選手が最初から上位の4チーム、ルーベ、トレント、モデナ、ペルージャに入ることはまずない。まずは中位、下位のチーム、もしくは周辺の国のチームにまず入って、そこで実力を見せて初めてトップチームに移籍する、という流れが一般的である。アンダーソンだってプロキャリアの最初は韓国だし、サンダーもホルトもヴェローナから。クリステンソンと同じ歳で同時にイタリアに行ったラッセルはペルージャだったが、最初からスタメン確定という感じではなく、リーグ半ばからポジションを奪った。クリステンソンは最初からスタメンセッターとしてルーベに招かれた。ラッセルとどちらも大学時代から、すでに代表で活躍していたから、ということもできようが、今後もなかなかそういう選手は出てこないだろう。

 
クリステンソンはミドルとパイプの使い方が上手く、使用率も高め
他のセッターよりは少し肘を柔らかく使い、ボールタッチ時間も少し長いが、持っているという感じはほとんどない。少し柔らかいセッティングと言えようか。その若干の柔らかさがクイックとパイプの見分けを非常に困難にしている。
ミドルを使えるセッターは度胸がある、と表現されることが多いが、クリステンソンにとっては少しそぐわない表現にも思える。ミドルにセットするときには、固くなるというかこわばるセッターも多いのだが、クリステンソンは自然にミドルを使い、パイプを使う。
あと右利きなのに、左利きのごとく左手で強いツーアタックを打てるのはすごい。


クリステンソンとジャネッリはどちらがより良いセッターか、というおそらくは答えの出ない愉しい議論を今後7,8年は続けられることを素直に喜ぶべきだろう。

きょうのセッター番外編その1 イヴァン・ザイツェフ

Zaytsev


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(交替でコートに入るペルージャ赤チームの2番)


キリのいいところまで来たので、ちょっと肩の力を抜いて、番外編として「セッターだった」名選手を何人か挙げていきたいと思う。
当たりまえだが、動画を探す手間がものすごいかかる。というか今日はたまたま見つかったけど、今後見つける自信がない。


今日はイヴァン・ザイツェフ。皆さんおなじみのイタリアのオポジットである。
コロナ禍の影響で契約の更新がままならないザイツェフだが、やはり20/21シーズンに関してはロシアへの移籍が濃厚であろう。


天下無双のザイツェフもキャリアのはじめは、セッターとしてセリエA1で4シーズンを過ごした。
すでにこのシリーズで父ザイツェフを取り上げたので、わざわざ御父上の説明の必要もないだろう。その息子がバレーボールをする、というのはかなりの呪縛があったのだろうな、と推測される。
セッターの息子がセッターというケースは多く、レゼンデ親子、ジズガ親子、ニクリーナ-パンコフ親子とか。彼らはなんとかモノになったからよかったけれども、親の期待、周囲の期待、いろいろと大変なものがあっただろう。


動画は2005/06シーズンのチャンピオンズリーグ予選リーグのペルージャ-ベルゴロド。17歳か18歳のザイツェフは2セット目半ばから登場。
セッティング技術はなかなかにお察しな模様。スパイカーが100%の助走で打てているのは、全体の1割くらいだろう。サイドがヴエビッチとスヴィデルスキ、オポがヘルナンデス。時代で屈指のスパイカーがそろってるからこそ何とかなっているという感じ。ただそれが17、8歳で、チャンピオンズリーグで、父親の国で、と考えれば仕方のない話なのかもしれない。
でも、これは本人もきつかったと思う。良いセットができず、それでも悪いボールをスパイカーが我慢して打ってくれていることを自覚することは、セッターにとってなかなかにきつい状況だ。
サーブはやはり片鱗というか今とつながるものが見られる。
背番号が見にくいのだけれど、父親と同じ2番を与えられているというのもチームの期待というか、売り出したいという意図が見て取れる。


今イタリアでは青田買い問題がちょっと火種になっているのだが、それに対するザイツェフのコメントの中でも「当時、高い契約金をもらってプロになったが、それは下手なセッターの将来にではなく、(ザイツェフという)苗字に支払われていた」と述べているように、なんというかバツの悪さを感じていたと思われる。


彼が19歳の時にはじめて入れた胸のタトゥーに書かれている文字は「MY LIFE, MY RULES」。
ザイツェフという名の呪縛から逃れ、自分のやりたいことをやり、誰のものでもない自分の人生を生きる。そんなことを決意したタトゥーだったのではないか。今では彼の象徴となった逆立った髪型も、たぶんこのタトゥーを入れたくらいからだろうと考えられる。2008年、20歳のときから彼はポジションを変え、アウトサイドそしてオポジットになり、イタリア代表になり、今ではバレーボール界のスターになった。


今でも時折、昔セッターであったことを思わせるプレーを見せてくれるザイツェフ。
(あまり上手くない)セッターであった、という経験はどんな悪いボールでも決める今の彼にとって、必要不可欠な経験だったのかもしれない。
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きょうのセッターその20 リカルド・ガルシア

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“Não importava o lugar na quadra. Eu sempre tentava fazer a bola chegar no mesmo lugar e velocidade para o atacante.”
コートのどこにいるかは関係ない。アタッカーのために、いつも同じ場所に同じスピードでボールを送ることを心掛けた。
Ricardinho


優れた指揮者は舞台での技術以前に、楽譜を深く理解し、演奏者たちの音を深く知り、その両方の持ち味を最大限発揮する。これをセッターに例えるなら、楽譜は監督のコンセプトであろうし、演奏者の音は各スパイカーの特徴だろう*1
リカルドはブラジルというオーケストラの一番の指揮者であった。もちろん技術も優れていたが、本当にすごいのはベルナルジーニョの楽譜をしっかり読み込み、ジバ、ダンテ、グスタボ、エレル、アンドレといった個性の強い音色を掴んで最高の音を鳴らしていたことだ。それは決してリカルドのアドリブではなく、むしろ全体の奉仕者であった。
ベラスコの格言に「良いセッターはウェイターのようである(“A good setter is like a waiter.”) 」というものがあるが、リカルドは疑う余地もなく世界一のウェイターであった。コートのどこからでもアタッカーに最適なボールを供給し続け、それがいつの間にかバレーボールに革命を起こしていた。


彼のブラジル代表チームが最強であったことに異論はない。しかし、リカルドはクラブチームにおいてはそこまで大きな成績を上げてはいない。もちろんいいセッターであれば、必ず優勝できるわけではないし、スパイカーの能力、メンツに大きく左右されてしまう。ただ特に代表から離れた後のリカルドは楽譜を読まないし、チームの音を聞いていないようにも見える。
2007年のリカルドの代表離脱のことはいろいろ言われているが、良くは分からない。リカルドが正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。ただ何となく今感じるのは、彼がこのあたりでウェイターではなくなったのかもしれない、ということだ。どうしても攻撃がスピーディーでトリッキーではあったので、彼の才能が過剰にフォーカスされ、指揮とはどれだけタクトがうまく振れるかだとリカルドは思ってしまったのではないか。
やはりセッターがキングになってしまってはいけないのだろうと、うがった見方ではあるが、2006年の世界選手権で審判台の一番上に乗るリカルドと、タクトはうまく振れなくてもチームの音を聞くことに注力しているブルーノが結果を残し続けることを見て考えてしまう。


リカルドの若いときは可能性はあるが、普通のセッターとみられていた*2。才能はあるが、頭脳が欠けているといわれた時期もあったそうで、リカルドは様々な試合のビデオを見て、ストークから学び、おそらくファビアーニから学び、マウリシオから学んだ*3。もちろん才能はあったのだろうが、基本的には努力でつかんだ「天才」という称号だったのだろう。努力でつかんだからこそ、自分のなすべきことを見失ってしまったという見方もできようが、それは誰にもわからない。


もし彼がブラジルチームの優れた指揮者であり続けていたら、北京、ロンドンでどんなに優れた音色を聞かせてくれたかと思うと、残念でならない。

きょうのセッターその19 ミゲル・アンヘル・ファラスカ

Miguel Angel Falasca


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このシリーズでは動画が残っているセッターを取り上げている。そうなると当たり前だが、古くても50年前に活躍したセッター、ということになる。なので、ここで取り上げるほとんどの方はご存命でおられる。少なくともここまで取り上げたセッターで亡くなっている方はいない。しかし残念ながら、今日とりあげるセッター、M・A・ファラスカはすでにもうこの世にいない。昨年の6月、引退して監督をしていたファラスカだが、突然の心臓発作で46年の生涯の幕を閉じた。


ファラスカは1973年生まれのスペインのセッターであるが、アルゼンチン生まれである。16歳の時に国内の経済危機から家族でスペインに移住してスペイン国籍を取得した。
ファラスカはなんといっても2007年のヨーロッパ選手権の優勝だ。スペインがだ、スペインが優勝したのだ。今でいえばスロベニアが優勝するよりもっとすごい大番狂わせであった。
しかもこの大会、スペインは一度も負けてない。こういう大金星をあげる時ってだいたい予選リーグでは負けてたりするのが常なのだが、完全優勝である。
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同じく無敗で決勝まで来ていたロシアとの対戦はなかなかに白熱した好ゲーム。選手の格だけでいえば明らかにロシアが上なんだけど、スペインの老獪さが勝ったというべきか。この時スペインはファラスカ34歳、デラフェンテとモルトが32歳、でオポジットだったファラスカの弟が30歳、リベロも30歳とスタメンの半分以上が30以上で、ベンチに控える貴公子パスカルは37とフィジカルのピークでいえばちょっと終わったようなチームだった。
それが準々決勝リーグの最終戦から決勝まで3試合連続のフルセット勝ちと、何度も苦しい場面を潜り抜けて、優勝した。


彼のキャリアとしてのピークはこの2007年の結果を受けて、翌シーズン移籍したポーランドのスクラ・ベウハトゥフでのものだろう。4シーズンで3回優勝し、2011/12チャンピオンズリーグもあと1点取れば優勝だったのだが準優勝。
2013年にロシアのチームで引退した後、すぐベウハトゥフの監督になった。そこでも1年目にリーグ優勝。その後はチェコの監督などもしたが、亡くなった前のシーズンは女子チームの監督にいきなり就任して驚いたものだった。


ファラスカのセットは少し特徴的で、ジャネッリが上がり際のセットという話はしたが、それとは逆で少し下がり際のセットとなる。ジャンプの頂点から少し落ちたところでボールとコンタクトする。とは言っても両者の間は0.3秒もないと思うが。
このタイミングだと相手のブロッカーが「あれ、まだ出てこない」と思い、少しタイミングを外される。野球のチェンジアップみたいな感じ。それでいて出てくるボールは鋭いので、ミドルとしたらやりにくいセッターだったと思う。
それにサーブがすごかった。セッターで歴代サーブ強いランキングあったら5本の指には入るだろう。


そこまで評価されていなかったというのもあるかもしれないが、フィジカルのピークは過ぎていた30代後半からキャリアハイの成績を残したファラスカ。
これだからセッターは面白いのだ。