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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッター番外編その5 石川祐希

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Photo by FIVB
Yuki Ishikawa of Japan sets against Tunisia

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この番外編の最後を誰にするかは大変迷った。
本当はロレンツォ・ベルナルディが第一候補だったのだが、セッター時代の動画も写真も見つからずあきらめた。モデナの3番手セッターだったベルナルディだが、当時監督だったヴェラスコの提案を受け入れ、サイドアタッカーにポジションチェンジして20世紀最高の選手になった*1ベルナルディとカーチ・キライの二人が20世紀最高の選手としてFIVBに表彰されたが、その二人とももともとセッターもしていたというのはなかなか面白い事実である。


まだまだ候補としては、カジィスキとかミリュコビッチもいたが、やはり動画として残っていない。セルジオリベロ制以前は何でも屋的にプレーしていて、(たぶん)セッターもしていたはずであるが、これも動画がない。
サイドとリベロとセッターで世界大会に出場して2001グラチャンはセッターで優勝したアラン・ロカでもよかったが、キューバだしなぁといろいろ思案した結果、石川選手にした。


2013年の世界ユースでは永露選手とツーセッター、星城高校でも常にではないが、時には武智選手とのツーセッターをしていた。

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ユースで、といっても基本的には現サントリーの大宅が正セッターで、ツーセッターを試合で使いだしたのは17位以下が決定してからのため、経験のためといった向きが強い。
17位に終わってしまったが、このチームは小野寺や高橋健太郎、久原弟に石川とシニアで活躍しているメンバーが多い。彼らがどうこうという話ではなく、小っちゃくてうまい選手を使えばユースで結果は出る。それをせずに我慢して、経験を積ませたことが今のシニアにつながっているのだと思う。
星城高校でのツーセッターは上の記事の通りだが、竹内監督の先を見据えた目を感じさせる。19/20シーズンV1リーグの上位4チームのうち3チームが星城のセッターであったというのも、無関係の話ではないだろう。たぶん竹内監督もセッター出身であるはず。




このワールドカップベストプレーともいえるセットもセッター経験の賜物といえよう。

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石川選手をはじめ、前述のベルナルディにせよ、キライにせよ、クビアクにせよ、ヌガペトにせよ、バレーボールが上手いといわれる選手で、セットの下手な選手はいない。バレーボールが3本でつなぐスポーツである以上、セカンドタッチの重要性は非常に高く、その役割を主に務めるセッターの責任は重い。
特にセッターをしていたスパイカーは2本目の重みを知っているはずだ。その難しさを知っているからこそ、3本目を決める役割を持った彼らはみんなの思いを汲んで決めることが…などと安直な話にはしない。
セッターが簡単なことではないことを知っている。良いセットが常にできることができないことを知っている。だからこそスパイカーは自分の仕事に徹する。上がったトスを決める、得点につなげる。それがスパイカーの仕事であって、トスの良し悪しなどは関係ないのだ。


セッターにしつこいほどトスの注文をつける選手がいる。確かに彼らにとって打ちにくいトスなのもしれないが、結局それは自分の仕事に徹することができていないに過ぎない。
一人ひとりが自分の仕事に徹する。それこそが真のチームワークといえるだろう。



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きょうのセッターその44 ディミタル・カーロフ


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In our time, the setter could have been a true creator.
A big part of this creative work came from the hands and the mind of the setters.
私たちの時代、セッターは真のクリエイターだった可能性がある。この創造的な仕事の大部分はセッターの手と心から来ている。
Dimitar Karov


昔、世界一のセッターといえば「猫田か、ザイツェフか」と言われるのが定番であったが、ザイツェフの登場以前は「猫田か、カーロフか」であった。
ディミタル・カーロフはブルガリアのセッターで、1972年ミュンヘンオリンピック準決勝、日本の大逆転劇を演出したブルガリアでプレーしていたセッターである。
代表ではエースのズラタノフとのBクイックが彼の代名詞であり、ミュンヘンではそこまで失セット0であった日本から1、2セットを連取。日本がセッターを変え、ベテラン勢を投入することでなんとか勝ち得た。
5セット目も日本3-9からの逆転で、カーロフのトス回しは最後まで日本を苦しめた。
「バレーボール最初のコンピュータマシン」ともカーロフは呼ばれた*1


わずか173cmしかなかったが、一日1000回を超えるジャンプトレーニングを行い、1mを超える跳躍力があったという。
3回のオリンピックに出場し、1970年世界選手権では銀メダルだったが、東ドイツを相手に5セット目13-5から逆転を喫してのものだった。これは動画を参照。左側のチームがブルガリアだ。
一際小さいのでどれがカーロフかはわかるだろう。
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すばしっこさに定評があり、そのディガーとして優秀だったという。なかなかない当時のカーロフの写真を探しても、冒頭の写真のようにディフェンスしているときのものばかりが見つかって、肝心のセッティングしている写真が一向に見つからなかった。


冒頭の引用であるが、カーロフ曰く、現在のセッターはコンビネーションが決まり切っていて、システムに従属的だという。彼らの時代のほうがより状況に応じて、様々なコンビネーションを駆使したという意。
バレーボールにおけるクリエイティヴとは何ぞや、という疑問もあるがなんとなく言いたいことは伝わる。そう考えると、一部の天才がなせることを普遍的に行えるようにすることこそがシステムなので、やはりカーロフ、猫田氏あたりがいわゆる「現代バレーボール」のベースのベースを作ったと言えるのかもしれない。

きょうのセッターその43 ニコラス・ウリアルテ

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アルゼンチン代表監督、マルセロ・メンデスは代表のセッター問題について、少し頭が痛いだろう。
もちろん基本的にはデ・セッコが一番手でウリアルテが2番手ということにはなろうが、2018世界選手権では前監督のヴェラスコはカヴァンナを重用したし、2019ワールドカップではサンチェスがアメリカ、ロシアを破る活躍を見せた。


ウリアルテもデ・セッコさえいなければもうちょっとフィーチャーされていいセッターなのだが、本人としても何がなんでもデ・セッコを上回ろうという貪欲さはあまり感じられない(もちろん内心はわからないけど)。


ウリアルテの父は、かつてアルゼンチンが1988ソウルオリンピックで銀メダルをとった時のミドル、ジョン・ウリアルテ。
父が指導者としてオーストラリア代表監督を務めていた頃、14歳のニコラスもオーストラリアのクラブチームでリベロとしてプレーした*1


その後、アルゼンチン代表の監督になったウリアルテの父が18歳のデ・セッコ(ニコラスより2つ年上)を世界選手権に抜擢した。ニコラスもアルゼンチンでプロとしてデビューし、世界ジュニアで銅を取り、イタリアに渡り経験を積み、ポーランドのベウハトゥフで同じ年で同じくスターの息子であるコンテとともに多くのタイトルをとった。
ブラジルのトップチーム、サダ・クルゼイロでもプレー。翌年移籍したタウバテでも優勝し、ブラジルリーグをひとり連覇した。


ウリアルテのセッティングはボールとぶつかり気味のタイミングでコンタクトするんだけど、ハンドリングが良すぎてボールと喧嘩しない。マルーフやデ・セッコはボールを操る、といった印象が強いんだけど、ウリアルテはボールに優しいイメージで「ボールと友達セッター」という感じ。


ベウハトゥフでプレーしたアルゼンチン生まれ、ということでM・A・ファラスカとイメージがかぶる(というかファラスカがウリアルテをつれてきたんだろうけど)。20/21シーズンはフランスでプレーする。アルゼンチンの良い選手が大体フランスリーグに移籍する流れに乗ったのかもしれないが、個人的にはオーバースペックだと感じるので、もうちょっとレベルの高いリーグでプレーしてほしい感が否めない。

きょうのセッターその42 マルコ・メオーニ


90年代以降のイタリア代表セッターの変遷は大まかにいえば、トフォリ→メオーニ→ヴェルミリオ→トラヴィツァ→ジャネッリとなる。
きょうはその中でもトフォリとヴェルミリオの陰に隠れている時間の長かったので、少し印象の薄いメオーニを。
メオーニといえば、とりあえず有名なのは2008年北京オリンピック最終予選の初日、日本対イタリア。日本が2-1でリードしている4セット目、日本24-18からのまさかの大逆転劇。ヴェルミリオが先発していたが、メオーニに早い段階で交代していた。

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メオーニがイタリア代表の正セッターだったのは1997年くらいから2001年位まで。なので、2008年の最終予選というのはだいぶベテランになってからの復帰だったわけだ。


スタメンで上げた実績として代表では1998年の世界選手権での優勝、1999のヨーロッパ選手権などがあり、クラブでは2008/09シーズンのピアツェンツァでのスクデット獲得がある。この頃のピアツェンツァのエース、ズラタノフはサーブレシーブに問題があったので、オポジットに守備型の選手を入れたり、フロントオーダー使ったりと試行錯誤していた。試合中にオポの選手がサイドに移ったり、その逆だったりはざらにあったので、セッターは苦労したと思う。
以下は決勝の第5試合、優勝決定戦。第5セット11-13から4連続ポイントで優勝を決める激アツな試合。黒チーム6番がメオーニ。
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メオーニはいつも高い位置でボールにタッチする。他のセッターは乱れたボールにギリギリ追いついたときなどは、顔の近くの低い位置で上げることも多いのだが、メオーニは体勢を落としてでも高い位置でセットする。ある意味、不器用なのかなとも思う。
セットの精度も高くて、ミドルもうまく使えたのだが、割と安定感を欠いていて、突然崩れることも少なくはなく、あまり精神的に強いタイプではなかったように思う。ベテランになってからはそんなことはなかったが、そのあたりが代表でもヴェルミリオにポジション取られた要因かもしれない。


メオーニの代名詞といえば、パンツの後ろに挟んだタオル。遠目で見るとメオーニとグルビッチって少し似ているところがあるし、生まれ年は一緒だし、プレーしたクラブが少しかぶっているので、昔の荒い動画で見た時に見分けられないことがあるのだが、このタオルを見たら、お、メオーニだな、とすぐ判別できる。またそのタオルが職人ぽくてね。


メオーニは引退後、アイスクリーム屋を開いたが翌年に半年だけ復帰。ほんとに引退してからはアメリカに渡り、テキサスでジュニアのチームを指導している

きょうのセッターその41 セルゲイ・グランキン

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少し地味なところがあるからなのか、グランキンは少し過小評価されているように思う。
3mライン内からどこからでもミドルを上手く使えるし、肘の伸ばした頭上からのセットはフロントに上げるのか、バックに上げるのかわかりにくい。ミハイロフを一番上手く扱えるのはグランキンであろう(と、個人的には思っている)。特に乱れたところからのミハイロフへのセットはぶん投げているきらいはあったけど、絶品だった。
だいたいどのチームでもキャプテン務めるリーダーシップがあるし、左手でツーアタック強打するし、トススルー(ネットを越えそうなボールをセットすると見せかけて触らないやつ)絶品だし、割と強いジャンプサーブ打てるくせにショートフローターが嫌らしいし、もっと評価されてもいいと思う。
というか、評価されてないと思っているのが私だけかもしれないが。


ロシア生まれの今年35歳。長いことディナモ・モスクワの正セッターを務め、カジィスキ、ダンテ、ザイツェフともプレーした。
ロシア代表ではロンドンの決勝がやはり印象深い。グランキンは特にサイドに上げるセットがたまに短いというか、垂れる感じになりやすいのが難点で、それが勝ちきれない試合の多さにつながっている気もするが、ロンドン決勝ではオポムセルスキーによってただ打点に上げることだけに集中できたというのが逆転の一要素ではあったかと思う。


昨年、グランキンは33歳にして初めて海外のクラブでプレーするため、ベルリンに渡った。膝が悪そうで、ジャンプしないセッティングも増えたけど、ロシアの時の「黙って自分の仕事しようぜ」と言いたげに目で殺す感じではなく、テンション高めに若い子を上手く楽しそうに扱ってる様はなかなか新鮮で面白い。まだまだ東京はあきらめていないようだ。