Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

決断に見るセッター論



昨夜、金曜ロードショーでやっていた『プラダを着た悪魔』をながら視聴であったが見た。

ながら視聴であるので、簡単な筋しか追えてないのだが、終盤でこのようなセリフがあった。

「あなたは他人が何を望んでいるかわかった上で、それを踏まえて自分のための決断が出来る。」

細部は微妙だが、こんな感じであったように思う。気になったので原文を調べてみた。

You can see beyond what people want and what they need... and you can choose for yourself.

万人に言える共通のことだとは思うけれど、これは僕がセッターに一番必要なことだと感じているものだ。

あくまで個人的なものさしだが、僕の考える最高のセッターは、身体能力の高いセッターでも、ハンドリングが上手いセッターでも、正確無比なトスを上げるセッターでもない。幾分抽象的ではあるが、大事なところで、決められるところに必要最低限の質でトスを上げられるセッターである(ブロックを考えたらそれなりの身長も必要だが)。要するにトス選択の上手いセッターだ。
それには状況を読む能力、ブロックと駆け引きが出来る能力などが求められるわけだが、決まる決まらないだったら、結局は結果論だという批判もあろう。たしかにそういう部分もあるが、それだけではない。どこにトスをあげるかという問題に関しては完全な正解はない。セオリー的に不正解なところにトスを上げたとしても、それが決まれば正解になる。確率論的にどんなにセオリー通りのところに上げても、決まらないときは決まらない。きれい事を言えば、「セッターのチョイスは悪くなかった」というコメントは存在しえない。
ただ監督にどんな指示を受けても、エースからボールをよこせと言われても、どれだけセオリーを熟知していたとしても、それを踏まえて自分が決められると思ったところに上げられるセッターはあまり多くはない。わがままではなく矛盾のない思考、決断の出来るセッター。近年では、これが出来る(た)セッターは、引退した朝長選手と現役では栗原選手くらいであろう。キれている時ならそれができるという選手は何人か思い当たるが。
早い話、どれだけ自分の決断に対して責任を持って、覚悟を持ったトスを上げられるかということである。これが出来るセッターのいるチームは強い。

その前にはもちろん試合に出るために、監督の言うことを聞くセッターと思われなければならないし、かつスパイカーの信頼を得なければならない。しかし試合に出てしまえば、大事なところでどこに上げようと、それが決められれば誰に文句を言われることもないのだ。

そのキャリアの最初からこれが出来るセッターはまずいないだろう。いるとしたら詐欺師にでもなった方が良い。結局は修羅場を数多く踏んだ後、ターニングポイントを超えられるかどうかということなのだろう。

以前、書いたことがあったが、引用のセリフこそが僕の思う本当の「狡猾さ」だ。

これは今では遠い昔となった僕の短いセッターキャリアと、数多くのセッターを見てきた経験から感じた、ただの戯れ言である。