Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

一期一会



セバスチャン・リュエット*1(Sebastien Ruette)という選手について話そう。
選手の数だけドラマがある。有名な選手ほどいくつもの大きな分岐点を経ていると思う。
ただ、中でもリュエットという選手は特に数奇な運命をたどった選手かもしれない。


(2分前後からプレー映像が始まる)


リュエットは1977年カナダ産まれ。日本で言えば浅倉、千葉といった選手の代にあたる。
カナダの大学を出たあと、当時パリ・バレーの監督であったカナダ人グレン・ホーグに見いだされ、フランスに渡った。
翌年にはカナダ代表にも選出。本来オポジットであるが、2002年の世界選手権にはミドルとして出場した。
2004年のアテネ最終予選では、日本のアテネ行きの夢が潰えた試合のトップスコアラーでもあった。
その後、スペインに渡り、2004/05CEVカップベストスコアラーになるなど、オポジットとしての才能を開花させていった。


その頃、彼はフランス国籍を取得する(この辺の詳細はよくわからない。もともとルーツはフランスだったのだろう)。
2年の国際試合出場停止期間を経て、2006年からフランス代表として世界の舞台に出た。
バレーボールでは、二つの国の代表になるというのはかなり珍しい。キューバを出た他国籍をとった選手でもまだその国の代表として出場できたケースを見たことがない(亡命がらみとかでいろいろあるのだろう)。


そのフランスデビューとなった2006年のワールドリーグでいきなりベストスコアラー賞を獲得する。
日本男子はフランス男子のようなバレーを目指すべきだという人も多いが、決定力不足という意味ではフランスも同様の悩みを常に抱えている。ディフェンスの優れたフランスにとって待望の、点の獲れる選手であった。


その年の世界選手権は欠場。
リュエットはコールドハンド症候群という難病に襲われていた。
血栓症の一種で、血管が痛められ多数の血栓が肩、腕、肘に出来それが剥がれ指先の血管につまり、しびれ、冷感を起こすもの。バレーを続ければ、血栓が心臓の血管に詰まり梗塞をおこすことがあり、現役続行は命をもむしばむ状況にあった。そして2007年、29歳の若さで引退した。


オポジットのルジエが日本戦で故障し、急にチームバランスを崩した今年の世界選手権だって「リュエットがいれば・・・」そんなことをフランス人は考えているかもしれない。


我々も今日見ている選手が明日見られなくなるかもしれないということを肝に銘じなければならない。
明日、あの選手が怪我でもう見られなくなるかもしれない。明日、あの選手がバレー辞めて弁護士になるなんて言い出さないなんて限らない。
見る側にも見る側の一期一会があるのではないか。国籍の変更に難病での引退、リュエットの数奇なバレーボール人生からそんなことを考えるのであった。

*1:ルエッテという表記の方がピンと来るのだが、リュエットの方が知名度があるそうなので。