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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッターその18 ビャチェスラフ・ザイツェフ



youtubeより


youtu.be
(この動画はザイツェフのセット詳解という感じでかなり貴重)


もはや近年ではイヴァン・ザイツェフの父ちゃんとしてのほうが有名になってしまったビャチェスラフ・ザイツェフだが、五輪1回に世界選手権2回の優勝、ヨーロッパ選手権では7回の優勝を誇る。
当時、世界一のセッターと言われていたわけだが、本人いわく猫田勝敏こそ世界一だと語っていたそうだ。


トップにいた期間が70年台半ばから80年台後半と長く、その間、スキルも風貌もほとんど変わらなかったので(んー、というか頭髪的に)、いったいどこで何歳だったかがわからなくなる。今動画で見ても、最初から32歳くらいのまま15年くらいプレーしてるんじゃないかと錯覚してしまう。その辺をちゃんと調べると、1976モントリオール五輪が23歳。1988ソウル五輪が35歳。ん、この時点で23歳!?1982年に世界選手権で優勝した時が29歳。列挙してやっとなんというか実感がわいてくる。


あまりジャンプセットしないし、淡々と上げるので、少し古臭く見えてしまうのだが、よくよく見るとものすごいセッターだと思う。スパイカーが打てないセットというのがまずない。いや、良いセットを上げるのはセッターとして当たり前なんだけど、普通の良いセッターでもおおよそ50本に1本はいわゆるトスミスしてしまう。ただの印象だけど、ザイツェフはそれが300本に1本くらいなイメージ。その精度はものすごいと思う。しかもサイドのセットが山なりな時代にだ。サイドに上げるセットは頂点が高いほうが上げるのは難しい。現代にいたとしても、そりゃ上げ方は変わるだろうけど、普通に1、2を争うセッターになっていると思う。
サビンに上げるロングBも素晴らしいし、かなり低い体勢からでもオーバーハンドで上げるのは若干鈍足気味ではあるんだけど、セッターの鑑ともいえる。


動画を見ても当時のソ連のコンビネーションはかなり複雑だ。クロスプレーを多用して、毎回クイックに入る選手も変わる。これを全部コントロールして、選手に応じてセットしてたわけだから、すごいわな。
わざわざ猫田氏の墓参をしに広島まで来たというエピソードも聞いたことがあるが、やはり人間として、リーダーとしても優れていたように思う。


1980年のモスクワ五輪は西側不参加、1984年のロス五輪は東側不参加だったので、アメリカ、ソ連がちゃんと大きな大会で激突したのは1985年のワールドカップと1986年世界選手権の決勝、1988ソウルの決勝なんだけど、どれもアメリカが勝った。個人的にはアメリカのスパイカーの対応力が勝っていたと感じた。ちょっと無理のある評だとは思うが、ザイツェフの良すぎるセットがスパイカーの対応力を奪ったような気もしてならない。