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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

なぜバレーボール日本代表は全日本として定着しているのか



まぁ、昔からよく言われていることなので、今更なのですが。
下記リンクの知恵袋がたぶん一番明快にまとまっているので、参照ください。


ポイントを引用すると

「単独チームではなく、日本全国から優秀選手を選抜する」という日本代表チームの“編成方法”=全日本選抜方式、これを略した「全日本」
日本代表を全日本というのは変では?日本バレーボール協会のHPに... - Yahoo!知恵袋

要するに全日本という呼称はあくまで日本代表の選び方だというわけですね。


捕捉でこれなんかも参照いただけると。同じ解答者さんです。

そもそも協会が言っているだけで、それが定着してるだけ、という話ですね。
ちなみにこの解答者さんはとても博識でおられるので、おそらくあの方だろうなという見当がついてるのはここだけの話。


で、ちょっと気になったので当時の文献当たってみたんですね。
といっても『月刊バレーボール』(当時は『VOLLEYBALL』)。正直歯抜けで全部調べたわけではないのですが、調べた限りでは全日本という言葉が月刊バレーボール誌上に最初に現れたのは1969年(昭和44年)の4月号。それ以前では基本的には「バレーボール日本代表」という呼ばれ方をしています。正直1965年ってのが見つかった一番古い号なので、確実にそれが初出というわけではありません。


全日本という言葉が出てくる流れとしては、1968年のメキシコシティ五輪で男女ともに金を逃した日本の強化体制を見直すに当たり、そもそも日本代表とはどうあるべきかという松平強化委員長兼男子監督の方針で、全日本という言葉が初めて出てきます。
日本代表とは、1.単独チーム、2.単独チームに数名の補強を行う、3.全日本選抜チームのいずれかの編成が考えられ、このいずれかで国際大会に出場するというもの。
メキシコシティ五輪は男女とも3の選抜編成だったわけですが、金を逃したことで、東洋の魔女がほぼ日紡貝塚の単独チームだったという事実がおそらくは批判の論拠となったのだろうし、重くのしかかったのだと思います。
連帯感、阿吽の呼吸、一糸乱れぬチームワーク、そういうものが何よりも大事だという勢力もそこそこ強かったんではないでしょうか。


ただやはり、五輪、世界選手権といった大会には3の全日本選抜チームで行くべきだという主張を松平翁はしています。
全日本級の選手を単独チームに集めてしまって日々練習するのがもちろん良いが、日本のバレー界の発展のためにはそれはあり得ないともおっしゃっています。


そして、その年開かれた日ソ対抗では選抜チームだけではなく、単独チーム、全日本ともにソ連と戦いました。日本鋼管、松下電器、専売広島という日本リーグ上位3チームは全敗するものの、全日本チームはほぼ互角の戦いをします。もちろん全日本選手も各チームに分かれてどちらのチームでも出場しました。やはり、単独では無理だよということを松平氏ははっきりさせたかったんだろうと明文化はされていませんが、何となく感じました。


と、まぁ、そんな経緯があるようです。
「全日本」という言葉は「東洋の魔女」へのアンチテーゼを感じます。
他のスポーツで日本代表を「全日本」と呼ぶことはもうほとんどありませんが、それはすでに日本のベストチームは、当たりまえに選抜チームであるという考えが根付いているからでしょう。
バレーボールが「全日本」という呼称にこだわるのは、かつて(ほぼ)単独チームで世界一を獲ったことある、ということが影響しているような気がしてなりません。


正直、生まれていない時代の話ですから、間違っている認識もあるかと思いますが、そこはご意見いただけると助かります。