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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッターその28 ヨセフ・ムシル

Josef Musil 1969.jpg
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(白チームの4番)

もうさすがにここまでくると、技術的に現代とは似ても似つかないし、時代背景もよくわからないし、知っている人も少なくともネット上にはいないし、映像の量もほとんどなく、ほんとに上手かったのかもよくわからないので、文献情報がどうしてもベースになってしまうのでご勘弁を。
歴史として、ちょっと抑えといたほうがいいかなというレベルなので、読み飛ばしてもらって構わない。


さて、ザイツェフが尊敬したセッターは猫田であるが、猫田が目指したセッターの一人がムシルといえる。松平氏の著作でもチェコスロバキアのセッター、ムシルとゴリアンの記述は時折現れる。
バレーボールが国際化されて、本当に最初期のセッターである。チェコスロバキアで1952年から5回の世界選手権に出場し、すべての大会でメダルを取った。この世界選手権5個のメダルというのは、今後誰に破られることもないだろう。
ムシルは2001年にFIVBが発表した、20世紀最高の選手を決める最終選考8人にもノミネートされ(他の7人はキライ、ベルナルディ、コンテ、ダルゾット、猫田、レーヴァ、ヴォイトビッチ)、最終的にはキライとベルナルディが20世紀最高の選手と相成ったが、ムシルはチェコスロバキアの選手で唯一バレーボール殿堂にも選ばれている。


猫田氏より前の世代、基本的に多くのチームはツーセッターであった。そもそも1964の東京五輪は猫田氏と出町氏のツーセッター。
ツーセッターと言っても、キューバ女子なんかの6-2ほど洗練されているわけではなく、前衛の選手がセッターをしたり(いわゆるインターナショナル4-2)、ローテーションによっては後衛の選手がしてみたりとかなり柔軟に行っていたようである。なので、どちらかといえば、打てる選手を増やしたいからというわけではなく、ブロックもタッチに数えられていたので、コート内に複数のセッターがいてある程度どこからでも攻撃が展開できたほうがよかったわけだ。
ただ、やはりそういった選手を二人いれるとチームとしての攻撃力が落ちてしまうし、アタッカーとの連携も二度手間になる。といったデメリットを解消するためにワンセッターが普及しだすのが、猫田氏あたり1960年代の後半からとなる。


なので、ムシルの時代はまだツーセッターの時代。動画でもムシルがスパイク打つ場面も。というか、セットしてる場面がほとんどないので、何とか見つけ出したのが、下の動画。
youtu.be





当時、当然プロフェッショナルの選手はいなくて、ムシルはタイポグラファーだったらしい。もちろん海外に移籍するなんてありえない時代にムシルはイタリアのモデナに移籍して、セリエA最多優勝回数を誇るモデナの初めての優勝に貢献するわけだが、チームを興したパニーニって会社(今もホームの体育館にパラ・パニーニとして名を残す)は印刷業だった。おそらくだが、もちろんバレーの腕を買われて来たわけだけど、アマ全盛の時代なので、あくまで職人として雇われたのではなかろうか。
その後のパニーニ・モデナの栄光は調べていただいたらわかるが、そもそもムシルがタイポグラファーじゃなかったら、モデナに来てなかったかもしれないし、そしたら優勝してなかったかもしれないし、そしたら今までモデナというチームが現存してるか、わからないし、そしたらモデナで活躍するクリステンソンなんか見られなかったのかもなー、なんてことを現代のセッターの始祖といっても過言でもないムシルのストーリーを調べて、思ったわけだった。

きょうのセッターその27 ラファエル・デ・オリベイラ

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ミドルの指がゲッツ!なのが気になる。


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セッターは力ではなく、タイミング。ラファを見るといつもそれを思い出す。


ラファエルはあまりブラジル代表での活躍が多くないが、クラブでの実績で言えば、ブラジルNo.1のセッターと言えよう。
2010年あたりにカジィスキ、ユアントレーナを擁して世界クラブ4連覇にチャンピオンズリーグ2回にスクデット3回など圧倒的な強さを誇ったトレンティーノのセッターがラファエル。それでもほとんどと言っていいほど、代表には呼ばれなかった。


個人的に究極のセッターというのは、いい意味で「いるかいないか、わからないセッター」、「漠然と試合観たあとに記憶に残っていないセッター」と位置づけている。あくまで究極で厳密にはそれは不可能なのだが、ただ自然に1本目と3本目をつなぐ役割。余計なことをせずにただスパイカーの能力を発揮させる。セッターが目立つチームというのはスパイスが効きすぎているカレーみたいなもので、そりゃ目を引くかもしれないし、一発のパンチはあるかもしれないけど、一杯食べ終わったあとにどうなの、と。


そういう意味では、ラファエルというのは私の理想に近い、絶妙な隠し味セッターとも言える。
カジィスキ、ユアントレーナいるんだから誰がセッターでも上げられる、という批判もいくらかあったが、ラファエルのいい意味での何もしてなさというのは、トレントにとって不可欠なものだったように思う。


ステップ、ジャンプ、コンタクトのリズムがどこに上げるにしても一定で、心地が良い。ほぼ一直線の姿勢から余計な動作がほとんどなく、硬めのハンドリングから跳ねるようにボールを飛ばす。完全な推測だが、ジャネッリのセットのベースにあるのはラファのセットのような気がしている。ジャネッリがトレントのジュニアで過ごしているときに、トップチームのスタメンだったラファエル。そのセットを見習ったという可能性もゼロではあるまい。


もしブルーノがいなかったら。そんなことを考えてしまうわけだが、どちらにしろブラジル代表だともう少し「色」が求められて、ウィリアムに勝てなかったかもしれない。

きょうのセッター番外編その3 オレオル・カメホ

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ブティコの話でカメホが出てきて思い出したので、ついでにやってしまおう。
あの大国ロシアが、わざわざ国籍変えさせてまでサイドで打たせたい選手がもともとセッターでキューバ代表だったって、意味がわからん。


まずはバレー界のカメホ整理をせねばならない。カメホは三兄弟なのだ。
まずレオンやらレアルがまだキューバにいた2000年代後半にミドルブロッカーでシモンの対角をしていたのが、長兄のオスマニー
今日話す、今ロシアにいて、ロシア国籍をとった元々セッターで今アウトサイドの次男がオレオル
インドネシアでプレーしていて、以前韓国や中東でプレーしていたオポジットが三男のオスメル。オスマニーも現在、インドネシアでプレーしている。


全員「オ」から始まるし、ポジションがコロコロ変わるし、世界あちこち行くし、で分かりにくいったらしょうがない。
そもそもキューバ人に対して、元セッターだとかいう肩書はあまり意味がない。ほとんどの選手が若いときにすべてのポジションを経験をするからだ。シモンがセッターしていたかまでは分からないが。
国営のバレーボール学校で全国から集められた逸材が英才教育を受ける。おそらく常にふるいにかけられる環境だ。いわば子供のころからバレーボールに、極端に言えば、生活をかけてきているのだ。そんなのバケモンがゴロゴロ出るに決まっている。
ユアントレーナなんかもあのハイセットを見るに、かなり良いセッターになったはずである。逆に言えば、キューバでセッターになれる選手は大抵のリーグではスパイカーとしても通用するといえるだろう。

キューバはなぜ超人アスリートを生むのか? スポーツ大国の光と影 - ganas 開発メディア



さて、オレオル・カメホだが2005~2008年あたりにキューバでセッターを務めており、2008年の北京五輪をかけた予選大会ではベストセッターも受賞しているのだが、結局北京への出場はかなわず、その後カメホは代表に招集されなくなるのだが、いきなりサイドアタッカーとしてブラジルに現れて、誰だ、これ?となった。
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そのあと、韓国、中国あたりを経て今は、ロシアのサンクトペテルブルグでプレーしているが、ブティコの時に書いたようにロシアのパスポートを得て、おそらくは代表戦にも出場してくるだろう。レオン、レアルのように国籍を変えて、国際舞台に帰ってくるケースが増えてきているが、ポジションまで変えて、というのはなかなか類を見ないケースとなろう。

きょうのセッターその26 アレクサンダー・ブティコ

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長年、世界でトップのクラブの一つであるゼニト・カザンのセッターを務めるアレクサンダー・ブティコ。
綴りがButko、なのでブツコ、ブトコといろいろカタカナ表記はあるが、一番認知されている感があるので、ブティコで通させていただく。


ブティコのセットはいい意味でロシア人ぽくない。
ロシア人はザイツェフの影響なのか、そういう教え方なのか、ジャンプセットをあまり用いず、頭の真上でボールを待って、さばくようなセッターが多い。全部がそうではないけど、ハムツキフとか、グランキンとかがそういうイメージ。
ブティコはほぼジャンプセットで高いところでボールを早めに取りに行くイメージ。どちらが良いということもないが、ブティコはより積極的なイメージ。なので若干バタバタした印象は与えるが、一定のリズムで質のよいセットをしている。
あとサーブも最近のロシアの若い子は強いサーブ打つが、昔はセッターといえば、フロートでショートサーブ打つような選手が多かった。ブティコはがんがん攻めて点もがんがん取るので、そういうところもロシアっぽくないセッターではある。



ブティコはもともとベラルーシ国籍。10代後半でロシアに移籍してきて、ロシアのパスポートを取得した。ロシアとベラルーシの育成がどれだけ違うかはわからないが、もしかしたらそのあたりもロシアっぽくなさに関係しているのかもしれない。
FIVBのルールでは、FIVB主催のシニアの国際大会に出たことのある選手が他の国に国籍を変えた場合、そういった帰化選手は1人しか登録することができない。ムセルスキーもウクライナからの帰化になるが、ウクライナではジュニアの大会に出てるかもしれないが、シニアの国際大会は出ていないので、特に制限はない。ブティコもロシア代表のメンバー構成的にほかの帰化選手を使わなければならないときは代表は外れていた(ミハイロフが怪我でウクライナ帰化のパブロフを使わなければならないときとか)。
長年ロシア代表のセッターも務めるブティコであるが、最近、キューバからサンクトペテルブルグでプレーするカメホが帰化したため、ブティコかカメホ、どちらかかしか使えないということになる。
もしかしたらすでにどこかのメディアで結論が書かれているかもしれないが、サムエルボは難しい選択に頭を悩ませることになるだろう。
ロシアも近年、若いセッター、コブザル、コバリョフ、パンコフなんかは出てきているが、やはり大事な試合はブティコかグランキンが出てくる、という印象。しかし、最近の使い方を見るにすでにブティコを外す準備を始めてるのかなーと思わなくもない。


オリンピックの金の経験もあるブティコだが、やはり近年のカザンでの活躍は目を見張るものがある。チャンピオンズリーグ3連覇はもちろんレオンの功績は大きいが、簡単にできることではない。
もちろん環境の問題や、それ以外の要因もあるかもだが、ペルージャのレオンよりは、カザンのレオンの方がすごかった印象が強く、ブティコがより活かしていた、という面もゼロではないだろう。
アシェフがいなくなってからは、キャプテンも務めているわけだが、あまり引っ張るという感じではなく「静かなる狼」感が強い。2011ワールドカップフェイスガードしたブティコ、怖かったな。

きょうのセッターその25 ハン・ソンス

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最高年俸になるとハン・ソンス(大韓航空)の6億5000万ウォン(約6500万円)
韓国バレー界の“貴公子”ムン・ソンミンに日韓Vリーグのことを聞いた!!!(慎武宏) - 個人 - Yahoo!ニュース

おそらく世界中の現役で最も年棒の高いセッターとなると、ハン・ソンスということになるだろう。
韓国の相場自体が他の国より高いのだが、セッターが一番給料が高いというのもなかなか珍しい。それだけ価値のある選手ということだろう。
基本的にはバレーボールはサイド、もしくはオポジットの選手が一番高く、ミドルとセッターはほぼ同じかセッターが少し高く、リベロが一番給料は安い、という傾向にあるようだ。
もちろん唯一ブルーノ・レゼンデがこれ以上の給料をもらっている可能性はあるが、それ以外の選手は遠く及ばないであろう。


ハン・ソンスは1985年生まれの35歳。大学卒業以来、大韓航空に所属している。
若いころは同期のユ・カンウ(サムソンにレオナルドがいたころのセッター)のほうが評価が高く、ドラフトでの指名もユのほうが先であった。ハン・ソンスが大韓航空に入った後も、ユ・カンウとの2対1のトレード話が出たりと、そこまで順風満帆なキャリアではない。
シン・ヨンチョルが大韓航空の監督になってあたりからハン・ソンスは頭角を現し、代表チームの正セッターになった。大体2010年ごろ。


そのあと兵役に入るのだが、2014年のアジア大会には軍属のまま出場。これは他の競技でもあまり例がないらしい。それがどれくらいすごいことなのか、ちょっと実感としてわかないが、いろんな記事を見るになかなかすごいかなりの特例だったようだ。
お正月の東京五輪のアジア予選では準決勝でイランにフルセットと肉薄したが、マルーフの老獪な時間稼ぎにやられてしまった。


「セッターは背中を汚せ」(それくらいボールの下に入り込んで自分を犠牲にしてセットしろの意)という格言を聞いたことがあるが、ハン・ソンスのアンダーハンドセットはほとんど見たことがない。ちょっと転びすぎじゃないかいという場面も多いが、韓国のセッターはそういった身を粉にする選手が多い。


今年大韓航空は以前オーストラリアなどで指揮をとったサンティッリが、おそらく韓国男子では初めて外国人監督として就任するが、大韓航空がどのように変化するか、とても楽しみである。
ちなみに前述の若いころ、ハン・ソンスより評価の高かったユ・カンウが現在の大韓航空のセカンドセッターを務める。歴史のめぐりあわせというのはなかなか面白いものである。