Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

5人の偉大な監督


photo by FIVB

歴史上もっとも偉大な監督は誰か、というのはなかなか難しい問題である。


レベデフ師匠は男子バレーボールの歴史を振り返ると、偉大な監督として、2人の革命家'revolutionaries'と、3人の完成者'perfecters'がいるとしている。
その2人の革命家は松平康隆とダグ・ビル。
3人の完成者としてビャチェスラフ・プラトーノフ、フリオ・ベラスコ、ベルナルド・レゼンデ'ベルナルジーニョ'を挙げている。
革命家とはバレーボールを変えてしまった監督。完成者とは旧来のシステムを完成させ、長期間結果を残した監督と位置付けている。

Like A Drop Of Water On A Stone | At Home On The Court



そんな監督たちの動画を集めて、英語の勉強のためにもとちょくちょく見ることを少し前からはじめている。
ロシア語とか、ポル語はお手上げなんだけど、Youtubeは動画によっては自動で字幕を付けてくれるので、なんとか意味だけ追うことはできる。

松平康隆

ご存じ、ミュンヘン五輪金メダルの監督。
役員になってからのあれこれで晩節を汚してしまったきらいがあるのがもったいない。
監督として、もっと再研究されるべきだと思う。

松平氏は、あまりに偉大過ぎたのだ。すべてを自分でやってしまい、すべてをやれてしまった。我々が、佐々木則夫、岡田武史、カズ、木之本興三、松木安太郎と、歴史に残る巨人を束になってやっている事を、軽々と越えてしまったのだから。
松平康隆氏逝去: 武藤文雄のサッカー講釈

これが松平氏をもっとも的確に表現した言葉であるし、日本バレー界の低迷の遠因(そもそも彼がいなかったら低迷という言葉が存在しないが)だと思う。

https://markleb1.files.wordpress.com/2012/06/winning-volleyball-matsudaira.pdf

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ダグ・ビル

ロス五輪優勝監督。カーチ・キライ、スティーブ・ティモンズらを擁し、2人制サーブレシーブといった分業化、バンチリードブロックを作り上げた。
彼もまた監督としてだけでなく、アメリカバレーボール協会CEOとして組織づくりでも優れた才能を見せている。
彼がアメリカ、そして世界のバレーボールに与えた影響は計り知れない。
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ビャチェスラフ・プラトーノフ

モスクワの金や6回の欧州王者になった旧ソ連の監督。サビンやザイツェフといった選手を擁し多くの大会で優勝を果たした。
やっぱりロシア語でよくわからない部分が多いので、ちょっと勉強したいと思っているコーチ。
My Profession - The Game - Vyatcheslav Platonov - Google ブックス
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フリオ・ベラスコ

アルゼンチン生まれ。1990年代のイタリア黄金期を作り上げた監督。現在はアルゼンチンの監督を務めている。
日本に来ていたら、今どのようなことになっただろうと時たまパラレルワールドを想像したりする。
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ベルナルジーニョ

まぁ、これも説明不要のベルナルド・レゼンデ監督。男子ブラジルの監督に就いてもう10年以上が経つ。
ブラジルバレー界にとってリオ五輪というのは一つの大きな節目となろう。
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東洋の魔女のセッターシステム解説するよ

とあるところからリクエストをいただいたので、ちょっと書いてみます。
先週末のバレーボール学会でセッターの歴史でもやったんですかね、東洋の魔女のオフェンスシステムが気になるということで、変則システム評論家のわたくしがちょっと解説してみます。


とはいっても、そこまで当時に詳しいわけではなく、映像からわかることを列挙し、そこから推察したことも多いので、そのあたりはご了承ください。




バレーボールでは、基本的なチーム構成を説明する際に「(スパイカーの人数)-(セッター人数)システム」という言い方をします。たとえば現在標準的なのは「5-1システム」スパイカー5人にセッター1人のシステム。これがツーセッターになると「6-2システム」になり、先日ご紹介したリベロセッターシステムだと「6-1システム」(6-0といえんこともない)ということになります。


この東洋の魔女のシステムを説明するならば、6人セッターして6人が打つ「6-6システム」、また厳密に今の定義に当てはめるならば「5-5システム」ということになります。これは後程。ただ非常に複雑なシステムと言えます。
特徴として、ボールの飛んだゾーンによって、セッターが頻繁に変わります。つまり常時コート上にセッターが複数いるイメージです。現行のツーセッターは複数セッターといっても、ローテーションごとにセッターの役割をするのは一人ですが、このシステムは常に複数いる形になります。

まず簡単にチーム構成を見ていきますが、基本的に背番号ベースですのでもしかしたら名前が一致していないかもしれません。間違っていたら申し訳ありません。
1番の河西昌枝選手が基本的にはメインセッターということになります。セッティング技術としても一番で選手間の信頼も厚いことが映像から見受けられます。基本的に1番河西選手がシステムの中でスパイクを打つことはありません。それがスパイカーは厳密には5人といった理由です。ただ当時はブロックが1タッチに数えられたため、前衛でミドルでブロックを跳ぶ河西選手が3本目(今なら2本目)を打って返す局面も少なくありません。
ローテーションに応じてはサーブレシーブも行います。
2番の宮本恵美子選手はチーム唯一の左利きで、ある意味チームの軸でもあります。前衛でのライトからのスパイク、後衛ではもちろんレシーバー、そしていわば第3セッター的な役割も果たします。
5番の松村好子選手はスパイクも打ちますが、どちらかと言えば第2セッターという役割のほうが大きいように思います。またサーブレシーブの要でもあると思います。
3番の谷田絹子選手がいわばチームのエース。チームの得点源です。この3番谷田選手はシステムの中でセッターをすることがないのがセッター5人とした理由です。
また4番半田百合子選手はパス、トス、スパイクと3拍子揃った選手。
6番磯部サタ選手は攻撃力に優れた選手です。


ではローテーションごとに見ていきましょう。
1番河西選手がバックライトにいるローテーションをP(osition)1として話を進めていきます。

Wフォーメーションで基本的に5人でサーブレシーブをするのは、全ローテ共通になります。またどのローテーションも両サイドからの攻撃が基本となります。
このP1ではバックライトにいる河西選手が前に出てきて、セットアップします。
ネット際に張り付くわけではなく、ネットから2.5mくらいのところをセッターの定位置としています。
前述のように河西選手がセッターはセッターなのですが、動く範囲としてはあまり広くなく、コート左側は主に5番松村選手がセットに行く割合が多いです。
その辺はちょっと図にしてみました。



大体こんな感じでコートを区分してる感じで、白いエリアは1番河西選手が、黄色のエリアは5番松村選手が、緑のエリアは3番谷田選手が、ピンクのエリアは6番磯部選手がトスを上げに行くようなイメージです。そうはいっても間のボールなんかは1番河西選手や、5番松村選手といったセットの得意な選手が広めにとってるように思います。
5番松村選手がサーブレシーブしなかった場合はスーッと前に出てきてコート左側に飛んできたボールはセットアップします。
つまり、2本目をボールの飛んだ近くの選手が上げることによって攻撃の枚数よりトスの質にこだわったということでしょう。



第2ローテ、これがこのシステムのおもしろいところ(当時は普通だったのかも?)のですがP2以外、バックライトにいる選手がサーブレシーブからの攻撃ではセッターの役割をします。
このローテでは4番半田選手セッターの役割ということになります。
セッターの役割というと語弊があるのですが、サーブレシーブを免除され、セットにより重きを置く選手といったほうが正しいでしょうか。
ただこの選手はレシーブがぴったり返ってきたときだけセットし、それ以外は1番河西選手や5番松村選手がヘルプに来ることが多いです。
5番松村選手は真ん中のセミを打つこともありますが、コート左側のセッターの役割が強いです。イメージ的にはぴったり返ったら4番がセッター、それ以外のコート右側は1番がセッター、左側は5番という感じでしょうか。


前のローテもそうなんですが、P1、P2以外、1番河西選手はサーブレシーブに参加します。サーブレシーブをしなかった場合は前に出てきて主にコート左側のセットアップを担当します。
決勝の3セットなんかは14-4くらいから一気に追いつかれてしまうのですが、やはり1番河西選手がサーブで狙われてしまい、誰がセットしに行くのかという部分で混乱したところがあります。

1番河西選手は前衛に上がると、スパイクに入ることはなく、基本的には補助セッターという形になります。サーブレシーブには参加しますけどね。真ん中に飛んだボールなどは、本来セッターの役目の6番磯部選手より1番河西選手がセットに行くほうが多いです。



ここは5番、1番のダブルセッターという感じになります。



P2は若干変則になります。左利きである宮本選手がライトまで走り、得意なポジションから攻撃。河西選手もライト側にいるため、このローテではバックライトの選手がセッターをせず河西選手がメインで上げます。コート左側に関しては主に6番が補助セッターになるのだと思います。




これはオフェンスシステムですが、ブレイク時はミドルで跳ぶ選手がメインセッター、バックライト、バックレフトがそれぞれ補助セッターみたいな形になります。
1番河西選手が3回、5番松村選手が2回、4番半田選手が1回ブレイク時はミドルで跳んでセッターとなります。


セッターが複数いるので、誰が2本目に行くのかというのが非常に複雑で、誰が1本目をとったかによってそれぞれの選手の2本目の責任範囲も変わります。
おそらくは想像を絶する量の反復によってパターン化していったものと思われます。今、これを再現しようとすれば、多くのボールがお見合いでコートに落ちてしまうのではないでしょうか。


繰り返しになりますが、2本目をしっかり上げるという目的からの複数セッターシステムだと思います。ぴったり返ったボールならバックライトに入った誰でもあげられる。それ以外のボールを1番、5番、2番の選手が主にカバーしていこうというシステムです。全選手がスパイク、レシーブ、セットとすべてのスキルができなければできないシステムでもあります。
この域まで到達するまでの練習に日月を捧げた彼女たち、大松監督にただただ敬意を払うばかりであります。

新三大・低身長でも頑張る世界のサイドプレーヤー


photo by FIVB
今日の過去記事をランダムで表示するツイートが小澤選手のことだったので、ふと思いついて書いてみました。
とはいってもね、180台前半なんて日本にはゴロゴロいるので、あまり面白味はないかもしれません


やはり170台のスパイカーというのはトップレベルではまず見つかりません。そう考えると小澤選手(178cm)、西村選手(175cm)というのは日本国内とはいえ、ものすごかったわけです。
そんな中でもアラウンド180で、国際大会でも活躍している3人のスパイカーを紹介します。
おもしろいのは、守備専という選手よりはどちらかというとガンガン攻めるタイプの選手が多いことです。

ルチアノ・ソルネッタ  183cm

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ワールドカップでの活躍も記憶に新しいアルゼンチンのソルネッタ。
ベラスコによって見出された一人だと思います。左利きという特徴を生かしたブロック外側からのブロックアウトが得意です。

フランシスコ・ホセ・ルイス 177cm

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177cmというのは、おそらくこの先出てこないでしょう。スペインのルイス。
最高到達点は344cmあるとか。

アタナシオス・プロトサルティス 183cm

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3人目はギリシャのプロトサルティス。
ちょびヒゲが素敵ですね。

ここにいる選手たちはすべて昨年のワールドリーグに登録されている選手たちです。

番外編 セッター マティアス・サンチェス 173cm

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セッターは全体的に平均身長低めなのですが、このマティアス・サンチェス19歳はなんと173cm。
U23の代表にも入っており、ユース、ジュニアではベストセッターも獲得し、今はアルゼンチンのトップチームでプレーしています。
日本でもなかなかこの身長のセッターというのは聞かないですね。
プレーはトリッキーの極み(笑)。


FC東京の岡崎選手(181cm)が今シーズンで終わりというのは残念ですが、前述の小澤選手も西村選手も同じく、早くして別の道を歩むというパターンが多いように思います。
なにかそこに共通するものがあるように感じています。

マルキン選手ドーピング問題まとめ


photo by FIVB


シャラポワ選手のドーピング問題が話題ですが、バレーボール界でも同様のトピックが話題の中心となっています。
またそれはオリンピックの出場国に関しても、そして日本が最終予選で対戦する相手にも影響を与える可能性があります。


年始に開かれたリオオリンピックヨーロッパ予選での、ロシアのアレクサンドル・マルキン選手のドーピング検査の結果、禁止薬物のメルドニウムが検出されたという問題。
シャラポワと全く同じ薬物ですな。シャラポワ以外にもスケートなどの競技で陽性が確認されていますが、マルキンもその一人となります。
東京新聞:シャラポワ使用のメルドニウム ロシアのスケート2選手が陽性:スポーツ(TOKYO Web)

予選の決勝では、途中から出てきたこのマルキン選手とベレジュコ選手が大活躍したという経緯もあるので、なおさら残念であります。


問題になったのは最近なのですが、マルキンが2月上旬以降、クラブの試合に全く出場しなかったので「なんかあったな、これは」という疑念はありました。


そもそもメルドニウムとはなんぞやということですが、

メルドニウムはもともと、心血管疾患の治療用の薬として開発された。その主な作用は、心筋損傷で死滅した細胞の領域の膨張を遅らせることと関連している。また、虚血が生じた箇所の血液循環を改善し、狭心症発作の頻度を減らすことが可能だ。

 だが、この薬物がスポーツ界でもてはやされるようになったのは、別の理由による。メルドニウムは、細胞内代謝を増加させ、ハードなトレーニングおよび心身に大きな負荷がかかる競技において、身体の持久力を高めることもできるからだ。この理由により、WADAはこの薬物を禁止リストに含めた。
禁止薬物メルドニウムとは | ロシアNOW

というわけですね。


バレーボールで持久系の薬物を摂る必要があったのかは疑問の残るところではありますが、昨年のヨーロッパ競技大会(アジア大会みたいなもん)では、実に400選手以上がメルドニウムを摂取していた可能性が指摘されており、結構手軽に摂取できるもんだったのかと思います。
【シャラポワ禁止薬物】メルドニウム、500選手が使用か 昨年の欧州競技会 BBCなど報道 - 産経ニュース


そもそもそうなるとシャラポワの処方されていたという会見が眉唾ものになってしまう気がするんですが…
このメルドニウムは今年1月から禁止薬物に指定されました。ロシアバレーボール連盟会長のエリョーメンコなんかはマルキンが最後にメルドニウムをとったのは12月頭だと語っていますが、詳しい規約などはわからないので、それならOKなのかまではちょっとわかりません。
rsport.ru



で、4月19日にFIVBにて公聴会が開かれ、処分が下される予定なわけですが、これによってマルキン個人の処分に加え、オリンピック予選でのロシアの優勝も取り消される可能性があります。
rsport.ru

そうなった場合は、フランスがリオへダイレクト、4位のドイツが日本に来るという筋書きが見えます。さっそくドイツメディアなどはリオへの可能性を示唆しています。
http://www.welt.de/sport/article153102139/Die-Deutschen-duerfen-doch-vom-Olympiagold-traeumen.html



あくまで可能性ですが、そもそも多くのスポーツ選手が摂取していた薬物ですから、危機意識みたいなものが希薄だったのかもしれません。もしくはチームぐるみ、国ぐるみの可能性もあります。
とりあえずこの事件に関しては4月19日を待たなければならないのですが、この問題どうこうに関わらずドーピングという問題に対する意識をすべてのアスリートが強く持ってほしいと思います。

動画でたどるカジースキの歴史


photo by FIVB

トレントにレンタルバック(意味違うか)ということでね、取り急ぎこんな記事をまとめてみました。むしろ黒鷲帰ってくるんだという驚きが。
向こうでファイナルまで行ったら、出られないんだけどいいんだろうか。

ほんとはセッター時代の動画というのを見つけたかったのですが、さすがにかなわず。そもそもセッター以外にもミドルもオポもあらゆるポジションをやってたらしいですね。
お父さんの影響だと思います。そのお父さんの動画もなかなか見つからず。


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おそらくネット上で見つかるカジースキ最古の動画はこれ。2003年欧州選手権、ファイナルラウンドのロシア戦。19のカジースキの衝撃。この夏までジュニアだったわけです。
で、実はこの試合、カジースキの登録ミスかなんかで没収試合になっちゃいます。
http://www.cev.eu/Competition-Area/MatchPage.aspx?mID=6311&ID=101&CID=901&PID=230&type=LegList

よってカジースキはそのあとの試合も出られず。


その2年後、ブルガリア超新星としてロシアのディナモ・モスクワに移籍。
当時の監督はアレクノ。当時はカザンも今ほどではなくて、モスクワとベルゴロドの2強という感じ。
移籍元のクラブ、スラビアの監督だったストイチェフもカジースキとともにアシスタントコーチとして移籍する。このあたりのバーター感がよくわからない。
トイチェフとカジースキの師弟コンビはスラビア時代からだから、だいたい13年続くことになる。

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2005年だから21歳。フィジカル的には最盛期なんじゃねーかな。


その後、イタリアのトレントに移籍。
トレントの6シーズンは国内優勝3回、2位3回という輝かしいもの。しかも欧州三連覇というのは圧巻としか言いようがないですね。

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この時代の動画というのは探せばいくらでも出てくるのですが、ヴィソット、オムルチェンも同じコートにいる08/09のCLセミファイナルを。
5セット目11-14からの4連続エースも同じシーズン。
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負けはしましたけど、この11/12シーズンがキャリアハイだったかなぁと。
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ハルクバンク時代はCL準決勝を。一応勝ち試合をね。相手がベルナルディというのもなんとも皮肉を感じるし。
ハルクバンク移籍の顛末なんかは過去記事を読んでいただけると。
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結構オフシーズンには中東でパートタイマーしてました。ハルクバンクから帰るシーズンの世界クラブではトレントと戦うというなんとも感慨深い試合。
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そして今に至ると。
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