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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッター番外編その1 イヴァン・ザイツェフ



Zaytsev


youtu.be
(交替でコートに入るペルージャ赤チームの2番)


キリのいいところまで来たので、ちょっと肩の力を抜いて、番外編として「セッターだった」名選手を何人か挙げていきたいと思う。
当たりまえだが、動画を探す手間がものすごいかかる。というか今日はたまたま見つかったけど、今後見つける自信がない。


今日はイヴァン・ザイツェフ。皆さんおなじみのイタリアのオポジットである。
コロナ禍の影響で契約の更新がままならないザイツェフだが、やはり20/21シーズンに関してはロシアへの移籍が濃厚であろう。


天下無双のザイツェフもキャリアのはじめは、セッターとしてセリエA1で4シーズンを過ごした。
すでにこのシリーズで父ザイツェフを取り上げたので、わざわざ御父上の説明の必要もないだろう。その息子がバレーボールをする、というのはかなりの呪縛があったのだろうな、と推測される。
セッターの息子がセッターというケースは多く、レゼンデ親子、ジズガ親子、ニクリーナ-パンコフ親子とか。彼らはなんとかモノになったからよかったけれども、親の期待、周囲の期待、いろいろと大変なものがあっただろう。


動画は2005/06シーズンのチャンピオンズリーグ予選リーグのペルージャ-ベルゴロド。17歳か18歳のザイツェフは2セット目半ばから登場。
セッティング技術はなかなかにお察しな模様。スパイカーが100%の助走で打てているのは、全体の1割くらいだろう。サイドがヴエビッチとスヴィデルスキ、オポがヘルナンデス。時代で屈指のスパイカーがそろってるからこそ何とかなっているという感じ。ただそれが17、8歳で、チャンピオンズリーグで、父親の国で、と考えれば仕方のない話なのかもしれない。
でも、これは本人もきつかったと思う。良いセットができず、それでも悪いボールをスパイカーが我慢して打ってくれていることを自覚することは、セッターにとってなかなかにきつい状況だ。
サーブはやはり片鱗というか今とつながるものが見られる。
背番号が見にくいのだけれど、父親と同じ2番を与えられているというのもチームの期待というか、売り出したいという意図が見て取れる。


今イタリアでは青田買い問題がちょっと火種になっているのだが、それに対するザイツェフのコメントの中でも「当時、高い契約金をもらってプロになったが、それは下手なセッターの将来にではなく、(ザイツェフという)苗字に支払われていた」と述べているように、なんというかバツの悪さを感じていたと思われる。


彼が19歳の時にはじめて入れた胸のタトゥーに書かれている文字は「MY LIFE, MY RULES」。
ザイツェフという名の呪縛から逃れ、自分のやりたいことをやり、誰のものでもない自分の人生を生きる。そんなことを決意したタトゥーだったのではないか。今では彼の象徴となった逆立った髪型も、たぶんこのタトゥーを入れたくらいからだろうと考えられる。2008年、20歳のときから彼はポジションを変え、アウトサイドそしてオポジットになり、イタリア代表になり、今ではバレーボール界のスターになった。


今でも時折、昔セッターであったことを思わせるプレーを見せてくれるザイツェフ。
(あまり上手くない)セッターであった、という経験はどんな悪いボールでも決める今の彼にとって、必要不可欠な経験だったのかもしれない。
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