Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッターその44 ディミタル・カーロフ




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In our time, the setter could have been a true creator.
A big part of this creative work came from the hands and the mind of the setters.
私たちの時代、セッターは真のクリエイターだった可能性がある。この創造的な仕事の大部分はセッターの手と心から来ている。
Dimitar Karov


昔、世界一のセッターといえば「猫田か、ザイツェフか」と言われるのが定番であったが、ザイツェフの登場以前は「猫田か、カーロフか」であった。
ディミタル・カーロフはブルガリアのセッターで、1972年ミュンヘンオリンピック準決勝、日本の大逆転劇を演出したブルガリアでプレーしていたセッターである。
代表ではエースのズラタノフとのBクイックが彼の代名詞であり、ミュンヘンではそこまで失セット0であった日本から1、2セットを連取。日本がセッターを変え、ベテラン勢を投入することでなんとか勝ち得た。
5セット目も日本3-9からの逆転で、カーロフのトス回しは最後まで日本を苦しめた。
「バレーボール最初のコンピュータマシン」ともカーロフは呼ばれた*1


わずか173cmしかなかったが、一日1000回を超えるジャンプトレーニングを行い、1mを超える跳躍力があったという。
3回のオリンピックに出場し、1970年世界選手権では銀メダルだったが、東ドイツを相手に5セット目13-5から逆転を喫してのものだった。これは動画を参照。左側のチームがブルガリアだ。
一際小さいのでどれがカーロフかはわかるだろう。
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すばしっこさに定評があり、そのディガーとして優秀だったという。なかなかない当時のカーロフの写真を探しても、冒頭の写真のようにディフェンスしているときのものばかりが見つかって、肝心のセッティングしている写真が一向に見つからなかった。


冒頭の引用であるが、カーロフ曰く、現在のセッターはコンビネーションが決まり切っていて、システムに従属的だという。彼らの時代のほうがより状況に応じて、様々なコンビネーションを駆使したという意。
バレーボールにおけるクリエイティヴとは何ぞや、という疑問もあるがなんとなく言いたいことは伝わる。そう考えると、一部の天才がなせることを普遍的に行えるようにすることこそがシステムなので、やはりカーロフ、猫田氏あたりがいわゆる「現代バレーボール」のベースのベースを作ったと言えるのかもしれない。