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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッター番外編その1 イヴァン・ザイツェフ

Zaytsev


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(交替でコートに入るペルージャ赤チームの2番)


キリのいいところまで来たので、ちょっと肩の力を抜いて、番外編として「セッターだった」名選手を何人か挙げていきたいと思う。
当たりまえだが、動画を探す手間がものすごいかかる。というか今日はたまたま見つかったけど、今後見つける自信がない。


今日はイヴァン・ザイツェフ。皆さんおなじみのイタリアのオポジットである。
コロナ禍の影響で契約の更新がままならないザイツェフだが、やはり20/21シーズンに関してはロシアへの移籍が濃厚であろう。


天下無双のザイツェフもキャリアのはじめは、セッターとしてセリエA1で4シーズンを過ごした。
すでにこのシリーズで父ザイツェフを取り上げたので、わざわざ御父上の説明の必要もないだろう。その息子がバレーボールをする、というのはかなりの呪縛があったのだろうな、と推測される。
セッターの息子がセッターというケースは多く、レゼンデ親子、ジズガ親子、ニクリーナ-パンコフ親子とか。彼らはなんとかモノになったからよかったけれども、親の期待、周囲の期待、いろいろと大変なものがあっただろう。


動画は2005/06シーズンのチャンピオンズリーグ予選リーグのペルージャ-ベルゴロド。17歳か18歳のザイツェフは2セット目半ばから登場。
セッティング技術はなかなかにお察しな模様。スパイカーが100%の助走で打てているのは、全体の1割くらいだろう。サイドがヴエビッチとスヴィデルスキ、オポがヘルナンデス。時代で屈指のスパイカーがそろってるからこそ何とかなっているという感じ。ただそれが17、8歳で、チャンピオンズリーグで、父親の国で、と考えれば仕方のない話なのかもしれない。
でも、これは本人もきつかったと思う。良いセットができず、それでも悪いボールをスパイカーが我慢して打ってくれていることを自覚することは、セッターにとってなかなかにきつい状況だ。
サーブはやはり片鱗というか今とつながるものが見られる。
背番号が見にくいのだけれど、父親と同じ2番を与えられているというのもチームの期待というか、売り出したいという意図が見て取れる。


今イタリアでは青田買い問題がちょっと火種になっているのだが、それに対するザイツェフのコメントの中でも「当時、高い契約金をもらってプロになったが、それは下手なセッターの将来にではなく、(ザイツェフという)苗字に支払われていた」と述べているように、なんというかバツの悪さを感じていたと思われる。


彼が19歳の時にはじめて入れた胸のタトゥーに書かれている文字は「MY LIFE, MY RULES」。
ザイツェフという名の呪縛から逃れ、自分のやりたいことをやり、誰のものでもない自分の人生を生きる。そんなことを決意したタトゥーだったのではないか。今では彼の象徴となった逆立った髪型も、たぶんこのタトゥーを入れたくらいからだろうと考えられる。2008年、20歳のときから彼はポジションを変え、アウトサイドそしてオポジットになり、イタリア代表になり、今ではバレーボール界のスターになった。


今でも時折、昔セッターであったことを思わせるプレーを見せてくれるザイツェフ。
(あまり上手くない)セッターであった、という経験はどんな悪いボールでも決める今の彼にとって、必要不可欠な経験だったのかもしれない。
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きょうのセッターその20 リカルド・ガルシア

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“Não importava o lugar na quadra. Eu sempre tentava fazer a bola chegar no mesmo lugar e velocidade para o atacante.”
コートのどこにいるかは関係ない。アタッカーのために、いつも同じ場所に同じスピードでボールを送ることを心掛けた。
Ricardinho


優れた指揮者は舞台での技術以前に、楽譜を深く理解し、演奏者たちの音を深く知り、その両方の持ち味を最大限発揮する。これをセッターに例えるなら、楽譜は監督のコンセプトであろうし、演奏者の音は各スパイカーの特徴だろう*1
リカルドはブラジルというオーケストラの一番の指揮者であった。もちろん技術も優れていたが、本当にすごいのはベルナルジーニョの楽譜をしっかり読み込み、ジバ、ダンテ、グスタボ、エレル、アンドレといった個性の強い音色を掴んで最高の音を鳴らしていたことだ。それは決してリカルドのアドリブではなく、むしろ全体の奉仕者であった。
ベラスコの格言に「良いセッターはウェイターのようである(“A good setter is like a waiter.”) 」というものがあるが、リカルドは疑う余地もなく世界一のウェイターであった。コートのどこからでもアタッカーに最適なボールを供給し続け、それがいつの間にかバレーボールに革命を起こしていた。


彼のブラジル代表チームが最強であったことに異論はない。しかし、リカルドはクラブチームにおいてはそこまで大きな成績を上げてはいない。もちろんいいセッターであれば、必ず優勝できるわけではないし、スパイカーの能力、メンツに大きく左右されてしまう。ただ特に代表から離れた後のリカルドは楽譜を読まないし、チームの音を聞いていないようにも見える。
2007年のリカルドの代表離脱のことはいろいろ言われているが、良くは分からない。リカルドが正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。ただ何となく今感じるのは、彼がこのあたりでウェイターではなくなったのかもしれない、ということだ。どうしても攻撃がスピーディーでトリッキーではあったので、彼の才能が過剰にフォーカスされ、指揮とはどれだけタクトがうまく振れるかだとリカルドは思ってしまったのではないか。
やはりセッターがキングになってしまってはいけないのだろうと、うがった見方ではあるが、2006年の世界選手権で審判台の一番上に乗るリカルドと、タクトはうまく振れなくてもチームの音を聞くことに注力しているブルーノが結果を残し続けることを見て考えてしまう。


リカルドの若いときは可能性はあるが、普通のセッターとみられていた*2。才能はあるが、頭脳が欠けているといわれた時期もあったそうで、リカルドは様々な試合のビデオを見て、ストークから学び、おそらくファビアーニから学び、マウリシオから学んだ*3。もちろん才能はあったのだろうが、基本的には努力でつかんだ「天才」という称号だったのだろう。努力でつかんだからこそ、自分のなすべきことを見失ってしまったという見方もできようが、それは誰にもわからない。


もし彼がブラジルチームの優れた指揮者であり続けていたら、北京、ロンドンでどんなに優れた音色を聞かせてくれたかと思うと、残念でならない。

きょうのセッターその19 ミゲル・アンヘル・ファラスカ

Miguel Angel Falasca


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このシリーズでは動画が残っているセッターを取り上げている。そうなると当たり前だが、古くても50年前に活躍したセッター、ということになる。なので、ここで取り上げるほとんどの方はご存命でおられる。少なくともここまで取り上げたセッターで亡くなっている方はいない。しかし残念ながら、今日とりあげるセッター、M・A・ファラスカはすでにもうこの世にいない。昨年の6月、引退して監督をしていたファラスカだが、突然の心臓発作で46年の生涯の幕を閉じた。


ファラスカは1973年生まれのスペインのセッターであるが、アルゼンチン生まれである。16歳の時に国内の経済危機から家族でスペインに移住してスペイン国籍を取得した。
ファラスカはなんといっても2007年のヨーロッパ選手権の優勝だ。スペインがだ、スペインが優勝したのだ。今でいえばスロベニアが優勝するよりもっとすごい大番狂わせであった。
しかもこの大会、スペインは一度も負けてない。こういう大金星をあげる時ってだいたい予選リーグでは負けてたりするのが常なのだが、完全優勝である。
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同じく無敗で決勝まで来ていたロシアとの対戦はなかなかに白熱した好ゲーム。選手の格だけでいえば明らかにロシアが上なんだけど、スペインの老獪さが勝ったというべきか。この時スペインはファラスカ34歳、デラフェンテとモルトが32歳、でオポジットだったファラスカの弟が30歳、リベロも30歳とスタメンの半分以上が30以上で、ベンチに控える貴公子パスカルは37とフィジカルのピークでいえばちょっと終わったようなチームだった。
それが準々決勝リーグの最終戦から決勝まで3試合連続のフルセット勝ちと、何度も苦しい場面を潜り抜けて、優勝した。


彼のキャリアとしてのピークはこの2007年の結果を受けて、翌シーズン移籍したポーランドのスクラ・ベウハトゥフでのものだろう。4シーズンで3回優勝し、2011/12チャンピオンズリーグもあと1点取れば優勝だったのだが準優勝。
2013年にロシアのチームで引退した後、すぐベウハトゥフの監督になった。そこでも1年目にリーグ優勝。その後はチェコの監督などもしたが、亡くなった前のシーズンは女子チームの監督にいきなり就任して驚いたものだった。


ファラスカのセットは少し特徴的で、ジャネッリが上がり際のセットという話はしたが、それとは逆で少し下がり際のセットとなる。ジャンプの頂点から少し落ちたところでボールとコンタクトする。とは言っても両者の間は0.3秒もないと思うが。
このタイミングだと相手のブロッカーが「あれ、まだ出てこない」と思い、少しタイミングを外される。野球のチェンジアップみたいな感じ。それでいて出てくるボールは鋭いので、ミドルとしたらやりにくいセッターだったと思う。
それにサーブがすごかった。セッターで歴代サーブ強いランキングあったら5本の指には入るだろう。


そこまで評価されていなかったというのもあるかもしれないが、フィジカルのピークは過ぎていた30代後半からキャリアハイの成績を残したファラスカ。
これだからセッターは面白いのだ。

きょうのセッターその18 ビャチェスラフ・ザイツェフ

youtubeより


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(この動画はザイツェフのセット詳解という感じでかなり貴重)


もはや近年ではイヴァン・ザイツェフの父ちゃんとしてのほうが有名になってしまったビャチェスラフ・ザイツェフだが、五輪1回に世界選手権2回の優勝、ヨーロッパ選手権では7回の優勝を誇る。
当時、世界一のセッターと言われていたわけだが、本人いわく猫田勝敏こそ世界一だと語っていたそうだ。


トップにいた期間が70年台半ばから80年台後半と長く、その間、スキルも風貌もほとんど変わらなかったので(んー、というか頭髪的に)、いったいどこで何歳だったかがわからなくなる。今動画で見ても、最初から32歳くらいのまま15年くらいプレーしてるんじゃないかと錯覚してしまう。その辺をちゃんと調べると、1976モントリオール五輪が23歳。1988ソウル五輪が35歳。ん、この時点で23歳!?1982年に世界選手権で優勝した時が29歳。列挙してやっとなんというか実感がわいてくる。


あまりジャンプセットしないし、淡々と上げるので、少し古臭く見えてしまうのだが、よくよく見るとものすごいセッターだと思う。スパイカーが打てないセットというのがまずない。いや、良いセットを上げるのはセッターとして当たり前なんだけど、普通の良いセッターでもおおよそ50本に1本はいわゆるトスミスしてしまう。ただの印象だけど、ザイツェフはそれが300本に1本くらいなイメージ。その精度はものすごいと思う。しかもサイドのセットが山なりな時代にだ。サイドに上げるセットは頂点が高いほうが上げるのは難しい。現代にいたとしても、そりゃ上げ方は変わるだろうけど、普通に1、2を争うセッターになっていると思う。
サビンに上げるロングBも素晴らしいし、かなり低い体勢からでもオーバーハンドで上げるのは若干鈍足気味ではあるんだけど、セッターの鑑ともいえる。


動画を見ても当時のソ連のコンビネーションはかなり複雑だ。クロスプレーを多用して、毎回クイックに入る選手も変わる。これを全部コントロールして、選手に応じてセットしてたわけだから、すごいわな。
わざわざ猫田氏の墓参をしに広島まで来たというエピソードも聞いたことがあるが、やはり人間として、リーダーとしても優れていたように思う。


1980年のモスクワ五輪は西側不参加、1984年のロス五輪は東側不参加だったので、アメリカ、ソ連がちゃんと大きな大会で激突したのは1985年のワールドカップと1986年世界選手権の決勝、1988ソウルの決勝なんだけど、どれもアメリカが勝った。個人的にはアメリカのスパイカーの対応力が勝っていたと感じた。ちょっと無理のある評だとは思うが、ザイツェフの良すぎるセットがスパイカーの対応力を奪ったような気もしてならない。

きょうのセッターその17 シモーネ・ジャネッリ

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イタリアは今後10年、いや本人さえその気があれば、2032年の五輪まではセッターの心配はしなくてよいだろう。
それくらいジャネッリは優れたセッターであると思っている。イタリアのファイナル、モデナと1勝1敗になったところでスタメンを掴んで、優勝かっさらって、ちょっとまだほそっこいけど、すげーのいるなと思ったのが、2015年。そこからあれよあれよという間に、翌年には五輪の決勝。意味がわからん。意味がわからん。意味がわからん。


ジャネッリのセットは気味が悪い(褒めてる)。
ボールが重く見えるセッターと軽く見えるセッターがいる。言い換えればボールの重さを感じさせるセッター、感じさせないセッター。軽くタッチしているだけなのに、ボールがスーッと飛んでいく。特にサイドライン際から逆サイドに上げる場合にそれがはっきりでる。どちらがいいというわけではない。しっかりボールの重さを感じさせるセッターにも、いいセッターはたくさんいる。というかむしろ感じさせるほうが正統派だ。
感じさせないセッターの代表格がジャネッリ。むしろ見ていて気味が悪い。ボールの重さをまるで感じないからだ。まるでそこだけ重力場がおかしくなっているかのごとく。
ボールの重さは万国共通。そう見えるのにはいくつか要因がありそうである。まずは力みがほとんどない点。当たり前だが力めばボールは重く見える。またジャンプが少しゆっくり目である点。最高点に達する前にボールに触っている感がある。床を蹴った上向きの力を最大限活用してる感じ。


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こんな化け物がどうやって育ったんだ、と若いときの映像を探していて見つけたのは、ジャネッリが15だか16の時のイタリアU-17の決勝。と思ったらサイドしてた。それはそれで貴重。サイドとしてはやっぱりキツいですな。
この動画、面白いのが対戦相手のセッターがスベルトリというところ。調べてみると当時はU-17のチームではアタッカーをU-19のチームではセッターをしていたらしい。


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これが上の動画の1年後のU-19。だから16か17の時。もうほぼほぼ完成されている感。前衛に来たら、後ろにセッターが入ってジャネッリが打つシステムも使ってる。




サーブもダウンザラインに打つ恐ろしいものを持っていて、ブロックもセッターの基準から言ったらだいぶ標準以上。
20歳で五輪の決勝を経験したセッターがここからさらに経験を積んでいく。たくさんの勝利とたくさんの敗北とたくさんの修羅場を歩んでいくのだ。恐ろしいとしか言いようがない。
ただ代表に限って言えば、ユアントレーナとザイツェフが抜けちゃうと今後スパイカー陣が何とも不安でなあ。