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バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッターその41 セルゲイ・グランキン

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少し地味なところがあるからなのか、グランキンは少し過小評価されているように思う。
3mライン内からどこからでもミドルを上手く使えるし、肘の伸ばした頭上からのセットはフロントに上げるのか、バックに上げるのかわかりにくい。ミハイロフを一番上手く扱えるのはグランキンであろう(と、個人的には思っている)。特に乱れたところからのミハイロフへのセットはぶん投げているきらいはあったけど、絶品だった。
だいたいどのチームでもキャプテン務めるリーダーシップがあるし、左手でツーアタック強打するし、トススルー(ネットを越えそうなボールをセットすると見せかけて触らないやつ)絶品だし、割と強いジャンプサーブ打てるくせにショートフローターが嫌らしいし、もっと評価されてもいいと思う。
というか、評価されてないと思っているのが私だけかもしれないが。


ロシア生まれの今年35歳。長いことディナモ・モスクワの正セッターを務め、カジィスキ、ダンテ、ザイツェフともプレーした。
ロシア代表ではロンドンの決勝がやはり印象深い。グランキンは特にサイドに上げるセットがたまに短いというか、垂れる感じになりやすいのが難点で、それが勝ちきれない試合の多さにつながっている気もするが、ロンドン決勝ではオポムセルスキーによってただ打点に上げることだけに集中できたというのが逆転の一要素ではあったかと思う。


昨年、グランキンは33歳にして初めて海外のクラブでプレーするため、ベルリンに渡った。膝が悪そうで、ジャンプしないセッティングも増えたけど、ロシアの時の「黙って自分の仕事しようぜ」と言いたげに目で殺す感じではなく、テンション高めに若い子を上手く楽しそうに扱ってる様はなかなか新鮮で面白い。まだまだ東京はあきらめていないようだ。

きょうのセッターその40 ペーター・ブランジェ

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時代を変えたセッターといっても過言はないだろう。
205cmの長身で1996年アトランタオリンピックを制したセッター。
大きいだけのセッターならいくらでもいる。ブランジェは大きくて、上手くて、そしてインテリジェンスがあった。
ブランジェの高い位置からのセッティングは、満点の精度とは言えなかったものの、相手ミドルがその軌道を見分けることは困難を極めた。
決して鈍重ではなく、ボールの下に早く入り、肘をあまり使わず、手首と肩の強さからくる球の出の良さでスパイカーを使い分けた。


彼を史上でも屈指のセッター足らしめたのは、アリー・セリンジャーとベベト・デ・フレイタスという二人の名将によるところが大きいだろう*1*2
80年代後半オランダ代表監督だったセリンジャーは代表選手をクラブに参加させず、基本的には代表チームにのみ専念させ、徹底的に鍛えた。その結果、世界的には無名であったオランダ代表がヨーロッパで5位になり、ソウル五輪でも5位、次のヨーロッパ選手権ではソ連を破っての銅とその存在感を示したものの、さすがにしんどすぎたのか、セリンジャーの在任期間の後半は、常に代表に専念させるというスタイルは破綻し、選手たちは各々のクラブに散っていった。


1990/91シーズン、ブランジェはイタリアのカターニアでプレーしていたもののあまり振るわないものだったらしく、イタリアのトップチーム、パルマに移籍したのだが、それはブラジル人監督であるベベトによる抜擢だったという。
ブランジェはこの時点で28歳だったわけで、代表でもまだアリーの息子のアビタル・セリンジャーが上げる時が多く、若い時から抜群にすごいというわけではなかったのだ。やっぱりこの89年の試合見ても、途中でアビタル・セリンジャーに変えられるし、ちょっと良い大きいセッターという感想を拭えない。このパルマでの5シーズンが彼を飛躍させたように思える。
ベベトのもとで当時ブラジルの十八番であったはやい攻撃を習得し、ダルゾット、ブラッチっといった名選手とプレーし、5年の間で2回スクデットを獲得した。
ちなみにこの頃、ベベト監督からイタリア語でl’abbassatoreというニックネームをつけられたらしいのだが、直訳すると「下降装置」?となる。意味がよくわからない。下にセットをするくらい高かったという意味だろうか。


1992年のバルセロナオリンピックはブラジルとの決勝では、アビタル・セリンジャーが上げているので、当時はアビタルが正セッターと思われている節があるが、実際はブランジェが正セッターだった。しかし、準々決勝のイタリア戦で負傷してしまったのだ。
結果、オランダは決勝まで進むもののブラジルに敗れてしまい、セリンジャーもオランダチームを離れた。
ここから雪辱に燃えたオランダだが、1996年のアトランタ決勝までワールドリーグ以外の世界大会とヨーロッパ選手権の決勝はすべてオランダ対イタリアだった。93年のヨーロッパ選手権、94年の世界選手権、95年のヨーロッパ選手権、ワールドカップ。しかも全部イタリアが勝った*3。96年のワールドリーグでオランダがイタリアを92年以来はじめて破り、優勝した。
そして、1996年のアトランタ五輪での伝説の決勝、イタリア戦


引退後、クラブやオランダ代表の監督を務めたが、ロンドン五輪の出場権を逃し解任された後、IT企業で働いたり、スポーツイベント会社のマネージャーを務めた。直近ではオランダサッカー協会のパフォーマンス&イノベーションマネージャーなる職についていたが、契約期間を満了することなく職を解かれてしまったようだ。アトランタで金メダルをとったアルベルダ監督もオランダオリンピック連盟のディレクターを務め成功した。またアルベルダはサッカーで有名なヒディンク監督に請われ、ロシア代表のGMもしたが、こちらは失敗したようだ。いい例、悪い例あるがオランダという国は、スポーツの人材を有効活用しようというビジョンがあるのだなぁ。


ブランジェとボールがいなかったら、もしかしたらセッターの平均身長は今より10cmくらい低いかもしれない。もしかしたらジャネッリやクリステンソンもセッターしてないかもしれない。それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも目指すべきものを作ったという意味では、大型セッターの数を明らかに増やした功績があると思う。とはいえ、2m級はいても、2mを超えるブランジェ、ボールクラスのセッターはまだ出てきていない。どちらのセッターも素質は若いときから見せていたものの、本格的に花開いたのは20代の後半から。なんだかんだ言ってもやっぱり大型セッターには我慢が必要だと思う*4

*1:U.S. VOLLEYS PAST DUTCH, SELINGER - Chicago Tribune

*2:Peter Blangè, l'abbassatore - Metropolitan Magazine

*3:ワールドカップは決勝がないがイタリア1位、オランダ2位

*4:そう考えるとやっぱりジャネッリとクリステンソンは異常

きょうのセッターその39 ミッコ・エスコ


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サウナの国、フィンランドの誇るレジェンドセッターがミッコ・エスコ。70年代後半生まれのセッターはいいセッターが多く、そしてみんなしぶとくて、まだエスコも代表は退いたものの自国で現役を続けている。フィンランドヨーロッパ選手権ベスト4に押し上げるなど国際舞台でのフィンランドの地位をぐぐっと上げたセッターである。
クラブでそこまで大きい実績はないが、イタリア、トルコ、ロシアのビッグクラブでプレーしている。


エスコの見どころはその一瞬の「タメ」。ほんの一瞬なんだけど、セットの瞬間、時が止まる。いや、止まらんけども。その一瞬によって相手ミドルが思わずその場でジャンプしてしまう。
バイオメカニクス的にどうなのかわからないけど、背中で上げているイメージ。伝わればいいのだけれど。


別に似てるとかではないのだけれど、なぜか見るたびに本田圭佑を思い出してしまう。

きょうのセッターその38 ヴァレリオ・ヴェルミリオ


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2000年代前半にイタリアのメインセッターであったのがヴェルミリオである。アテネで銀、ヨーロッパ選手権の優勝2回、チャンピオンズリーグも優勝2回と、ブラジルの黄金期なので国際大会での優勝はあまり多くないが、違うクラブでチャンピオンズリーグを2回もとれるセッターはそう多くない。


2003年のシスレートレヴィソでもセリエAで優勝したが、この時は加藤選手がトレヴィソに行った年なので、月バレでも多めに取り上げられたりしていたのだが、セッターがヴェルミリオで、チゾーラとパピのサイド、テンカティとフェイのミドルと、ほとんどイタリア代表ってメンツで、赤いユニフォームがかっこよかったんだ、これが。



筑波バレー部卒の記者さんにネタバレされてしまったが、おっしゃる通りで動きの硬さもあって、剛のイメージ。あまり上げる場所に正対しないで肩をうまく使って横に、斜めにセットする。
ヴェルミリオの見どころはやはり上げる場所の選択。ネットに背を向ける場面が多いので、相手のブロックをあまり目視で確認していない。なのにブロックの少ないところ少ないところを選択できる。それは理詰めと駆け引きの産物であろうと思う。


上の動画の試合は2012/13のチャンピオンズリーグ決勝なのだが、特に5セット目が面白い。相手のベウハトゥフはリスク承知でかなり当てずっぽうなブロックをしてくるのだが、それを外していくヴェルミリオのセット。10点以降はほとんどノーブロックして、アタッカーに打たせている。この何本かのセットで流れが変わり、逆転での優勝を決めたという面もあると思う。


最近、姿を見ないヴェルミリオ44歳であるが、まだまだ現役である。セリエC、実質イタリア4部でプレーしている。
彼の積んだ経歴を考えれば35くらいでスパッと辞めて指導者なり解説者なりという道はあったのだろうが、イランでプレーし、アルゼンチンでプレーし、セリエA2、セリエBとカテゴリを落としながら、それでも現役をやめない彼には何らかの矜持があるのだろう。

きょうのセッターその37 ワジム・ハムツキフ

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痩せっぽちで、ヒゲもいつも生やしてるもんだから、パッと見、病人にしか見えないロシアのセッター、ハムツキフ。しかもいつも大体袖をまくっているので、痩せっぽち感が強調されてしまう。ロシア国内でプレーする際、シャツネームは、名前が長いこともあって「ひげ」だったそうだ。


画像検索すると袖まくりをするのは右腕だけということに気づく。一種のルーティン的なものだろう。そんな細い腕なんだけど、2002年のワールドリーグではベストサーバーとっていて、強いをジャンプサーブをもつ。


ワールドリーグでは総計7つのメダルをとり、チャンピオンズリーグでも2回優勝しており、44歳までプレーした。オリンピックに4回(1996~2008)出場した2000年代のロシアを象徴するセッターと言える。
アルファベットで綴ると「Khamuttskikh」 今でこそ、Wikipedia準拠で「ハムツキフ」としているが、昔はハムツトキフだとかハムツキーだとか、いろんな表記があって困ったものだった。


腕力に頼らないセットで、ボールの下まできっちり入ってあげるが、全然バタバタしない。歩数が少ない。
どのセッターにも言えることだが、セットが低くなる頻度が一番高いのはBクイックだと思う。おそらくは早くボールを出したい気持ちがそうさせるのだろうが、ハムツキフはそれが低くなることが少ない。手から出すというより、肩から発射するというイメージで上げている感じ。


両手を使った、パスのようなツーアタックを用い、相手をあざむくことも多かった。

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2005年にロシア代表として初めての外国人監督としてガイッチを招聘するものの散々な結果に終わり、更迭。2007年変わって監督に就任したアレクノが最初にしたのは、ガイッチが最後まで呼ばなかったハムツキフを呼び戻すことであった。37歳での代表復帰となった。その年のヨーロッパ選手権で銀、その後のワールドカップでの銀、とロシアをきっちり立て直したのはハムツキフの安定したセッティングが必要不可欠であったと思う。