Stay Foolish

バレーボール(主に男子)をいろんな視点から見ていくブログ

きょうのセッターその29 宇佐美大輔



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――以前、30歳を過ぎてからセッターの楽しさが分かってきたと話していましたね。

 そうですね。30歳を過ぎてやっと(笑)。以前、ジュニアの監督をされていた下村英士さんに、「セッターは30からが楽しいんやぞ」と言われていたんですけど、「何が楽しいねん」と思ってた(苦笑)。でも、本当に30歳を過ぎて、いろんなものが見えるようになってくると、「セッターって楽しいものだな」と。30歳手前で辞めていくセッターもいますが、そこは粘って、成長しながら続けてほしいなと思います。


――見えるようになったものというのは何ですか?

 この選手は25点目を決められる選手だなとか。アタッカーの表情や、相手ブロッカーもよく見るようになりました。ずっとアタッカーの顔を見ていると、いつもとちょっと違うところがあると気づいて、今こういう感じなのかな? とか、ちょっとダメそうだなとか、感じられるようになる。いろんなことを予測できるようになったという面もあると思います。

 あと、セッターができる仕事というものを、割り切れたということもあるんじゃないでしょうか。セッターはトスを上げるまでしかできない。だから「なんで決めないんだよ」というような感情はなくなりましたね。腹をくくれたというか、ここに上げて決まらなかったらしょうがない。次を考えようと思えるようになってきてから、楽しく感じられるようになったと思います。

宇佐美が語る競技人生とバレー界への提言=北京五輪代表セッターが引退 - スポーツナビ


天から与えられたものや備わっているスペックはセッターとして、日本の歴史の中でも随一だったと思う。
類まれなジャンプ力。30過ぎてもミドルより手が出てることが結構あった。卓越したボール勘は他のたいていの球技をやっても大成しただろう。キレのあるハンドリングと肩の強さから来ているであろうパス力から繰り出す長い距離のセットは日本人では他に見たことがない。晩年は影を潜めたが、そのジャンプサーブも相手にとっては脅威であった。


本人が自覚しているように30歳過ぎて視野が広まったのか、素晴らしいセッターになった。20代の頃は自分でバレーボールを難しくしてしまっているように見えた。奇をてらったり、あえて難しい選択をしてしまったり、かと思えば特定のスパイカーと心中してみたり。おそらく本人にとっては点数を取るためのベストの選択だったのだろうが、結果的には低い打てないセットになり、自分の首を、チームの首を絞めていた。


北京五輪から帰ってきたあたりから、朝長選手から受け継いだなにかが大きかったのか、徐々にいい意味でその存在は希薄になり、悪目立ちすることはほとんどなくなった。むしろ寡黙に決まるところにボールを配給し、勝負どころをわきまえ、正攻法を貫いた。本当に2010年ごろの宇佐美選手は日本のトップセッターといって過言ではなかった。ただ、Vリーグ、代表でも対アジア戦まではまだ良いのだが、アジア以外の海外チーム相手となるとどうしても以前に戻って、低い打てないセットを連発してしまう。海外相手には日本のスパイカーではがっぷりよつに組めないという思い込みのようなものがあったのだろうか。


アメリカバレーボール界の大御所、ジョン・ケッセルがセッターについて述べた文章の中に次のような言葉がある。

Remember to be good (technically perfect) first, smart (perceptive) second and then occasionally tricky.
最初は良い(技術的に完璧)、次にスマート(知覚的)、そのあとに時々トリッキーであることを忘れるな。
Thoughts for Setters by John Kessel

良いセットを上げることが第一。最適なスパイカーを選択することがその次、そして時々トリッキーと。やはりこれがセッターの最も基本となるコンセプトなんだと思う。


確かに毀誉褒貶が激しいセッターであったが、このコンセプトを守れているときの宇佐美選手は本当に良いセッターであった。ただこれを守り続けるのは、彼にとってなかなかに難しかったのだろう。
「シンプル」という言葉が本当に胃の腑に落ちているセッターは強い。ここでいうシンプルは単純という意味とは若干違う。自身の持つこだわりを捨てること。器に合わせて形を変える水のようになること。簡単にプレーをすること。ただエースに上げればいいというわけじゃない、丁寧に上げればそれでいいというわけでもない。結局セッターというのは積み重ねよりも、そぎ落とす作業のほうが大事なのかもしれない。